Since 1996

万引き家族とペーパームーン

映画「万引き家族」と、アメリカ映画「ペーパームーン」のネタバレあります。ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


万引き家族」は都会のビルの中に埋もれた古い一軒家に暮らす「偽装」家族の物語。

家族を装って、共同生活を送ってるだけだ。

家の持ち主はおばあちゃん(樹木希林)、その息子夫婦の様に万引きで生計を立てる父役(リリー・フランキー)と、クリーニング工場で働く母役(安藤サクラ)、その妹役の風俗嬢(松岡茉優)、夫婦の息子役の祥太(城桧吏)は父と組んで万引きをしている。

この関係は全て虚構。周りから見ればそういう風に見えるし、彼らは生きていくためにそういう体を装って暮らすことを選んだ様でもある。

そんな家族に両親から虐待された幼い女の子、ゆり(佐々木みゆ)が拾われてくる。リリー・フランキーが不憫に思って連れてきたのだ。ゆりは最初ここでも虐待を受けるのではと怯えていたが、やがて彼女もこの家族の一番下の娘という役を装うようになる。


血が繋がっているから家族なのか?

血が繋がっていれば、そこに無条件に愛が生まれるのか?

そもそも夫婦は他人だ。他人が集まって作る関係は、血縁の愛に劣るのか?家族の絆とは何なのか?


この物語を見て思い出したのは、ライアン・オニールテイタム・オニール父娘が主演してヒットした「ペーパームーン」という映画。

大恐慌で誰もが貧しさに苦しむアメリカ。三流詐欺師の男モーゼと、彼と懇意だった娼婦の娘のアビー。二人は親子ではないが、モーゼがアビーを遠くに住む彼女の血縁者の家に送り届けることになり、口喧嘩しながらも、二人して協力して詐欺を働きながら、親子を装って旅を続けていく。


二人の行く先々にはニセモノが沢山出てくる。世間の目から見ればお金持ちの令嬢や、街の治安を守る警官だが、本当の姿はお金持ちを狙う娼婦であり、酒の密売を手伝う悪徳警官だ。


途中、二人で訪れた遊園地で、二人はハリボテの三日月のセットに腰掛けて記念写真を撮る。ムスッとした、仏頂面で並ぶ他人同士の二人だが、カメラマンにとっては遊園地に仲良く遊びにきた親子に見える。


「この人は私を愛してくれている」と感じること、人と人とをつなぐものは、そんな「思い込み」の力なんじゃないか、嘘か誠か判断のつかない言葉ではなくて、無言で強く抱きしめてくれたときの温かみを「信じる」気持ちなんじゃないかと二つの映画は語りかけてくる。


しかし、ただそれだけではリアリティを欠いた理屈でしかない。いくらそこに「愛」があると言っても、そもそも詐欺や、万引きだけでずっと生計を立てて行くこと自体が「おとぎ話」なのだ。「おとぎ話」の上に築かれた「愛」でしかない。


ペーパームーン」のラストは血縁者の家に送り届けられたアビーが、自らそこを飛び出して、モーゼの元に戻ってくる事をハッピーエンドとしている。

しかし、これは大恐慌の混乱した時代だから許される、幾分おとぎ話のようなラストの様にも感じられる。


平成の日本が舞台の「万引き家族」のラストとしてはそんな終わり方ではリアリティに欠けてしまう。


終盤の少し前、万引きに気づいていながら咎めずに、「妹に万引きさせるなよ」と言ってくれた駄菓子屋のオヤジさん(柄本明)もまた、おとぎ話に出てくる人の様だ。だから彼が亡くなったのは、おとぎ話の終わりを告げる前兆の様にみえる。


妹が自分の意思で万引きをしてしまう事をやめさせようとして、少年はわざと捕まる。そしてそこから一気に偽装の家族はその姿を世間に晒されて、壊れていく。


家族は子供は血の繋がった親の元で暮らす方が幸せになるという「常識」に晒される。

「普通」に生きる事ができなかったから、お互いに助けあって目立たぬ様に生きる為に「家族」という方法を選んでいたことが、「普通」ではないからという理由で否定されていく。


母(安藤サクラ)が母親になりたかったのかと聞かれて、答えを濁す。

血が繋がっていなければ母親と呼んでもらえないなら、一体周りから母親の様にみえていた私はなんだったのか?


本当の親の元に戻り、風俗嬢ではなくなったらしい妹(松岡茉優)が皆が住んでいた一軒家を訪れる。暑苦しいほどの生活感に溢れていた家は、何事もなかったかのような空っぽの空き家になっている。ただそこに寝起きしているだけで幸せだと思えたおとぎ話は本当に終わったのだ。


施設で暮らす息子役だった少年と再会した母(安藤サクラ)は彼の本当の両親の手がかりとなる情報を教える。成長した少年には自分の道を歩み始めさせなければならない。


彼女を虐待していた両親の元に戻った少女もまた、もう自分を本当に愛してはくれない人には近づかず、許しも乞わない。


万引き家族のラストは、おとぎ話は終わったけれど、「家族」という形を取らなくても、お互いに家族として愛されていたという記憶は残っているし、今も愛しているという事を「信じている」、という事を語っている様に思えた。

 

最後に。

ペーパームーン」の映画の主題歌はこう唄う。


Say it's only a paper moon 

Sailing over a cardboard sea

ボール紙でできた海の上に漂う紙の月でも


But it wouldn't be make believe

If you believed in me.

あなたが私を信じてくれるなら本物になる。