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8月に感じる違和感

もうすぐ終戦の日がきます。
この頃になると毎年感じる事は靖国神社参拝に関する事です。
政府の要人が参拝するとかそう言うことはおいて、一般の人が靖国神社の「英霊」を悼むことは当然で国を守った軍人に敬意を持てという点です。
あそこに祀られている人たちが国を守るために働いたであろうことには同意しますが、彼らを「英霊」として、他と区別して、一段も二段も高く尊いものであるかのように扱うことにはいつも違和感を感じます。

例えば広島に原爆が落とされた日。広島の中心部には何千人という中学生が集められていました。10キロ以上離れたところからもです。
彼らは爆撃を受けた時に建物火災の拡大を防ぐために、建物を壊して間引きする「建物疎開」という作業をする要員として集められていました。
勿論、建物疎開を指示したのも、そこに中学生を動員することを指示したのも、「日本軍」です。
赤紙で召集されて、努めとして行動した軍人。たまたま「軍都」とされた広島に暮らしていたがために、軍の指示で作業に徴発された中学生。

片方は国のために勇ましく戦って死んだ「英霊」と呼ばれ、もう一方はまるでただ無力な戦争の犠牲者だと呼ばれる。僕はそこに猛烈に違和感を感じます。

原爆を作り落としたのはアメリカです。

原爆投下をしなければ本土決戦になり、更に二百万人以上の犠牲が出たとか、真珠湾に卑怯な奇襲をした日本に対する報復として原爆投下を正当化する見方は、アメリカの国策的なプロパガンダに過ぎないと言えます。
しかし、どのような背景かあったにせよ、プロパガンダに利用されているように、奇襲を以て宣戦布告をした事、既に戦争を続けるリソースが尽きていたにもかかわらずなかなか決断ができなかった(終戦昭和天皇の「英断」と捉える意見には賛成できません)事があの結果を招いたことは事実です。

広島は日清戦争の際には大本営が置かれた要衝で、戦艦大和の建造もここで行われていました。陸海軍の拠点が集まる「軍都」と呼ばれた都市のひとつであり、それはアメリカが原爆の投下目標を決める際の理由の一つになりました。

広島では軍人も民間人も数万とも数十万とも言われる人たちが原爆で亡くなりましたが、日本軍がそこに関与しなかったわけでも、民間人がただ犠牲になったわけでもなく、赤紙もなく軍に徴発されて協力して命を失ったようにも思えるのです。

しかも、日本軍は起死回生の秘密兵器開発として原爆開発も指揮していました。資金も戦略もなくお決まりの陸軍と海軍がバラバラに研究をさせていたので、まだ未熟なものでしたが、結局は開発競争に負けて、先に落とされたのです。
万に一つ、先に開発していたら形勢逆転のために敵国に落としたであろうことは想像に難くありません。それこそ一発必中のために特攻で落とさせたかもしれないとも思います。

しかも、軍は、そして昭和天皇も決定的な爆弾を落とされていながら、その3日後に二発目までも落とされていながら、さらに数日ゆっくりとよく考えてから敗戦を認めるという慎重さ。

それでも一方は勇ましさや貢献を想像させる「英霊」と呼ばれ、他方はただただ受け身な「犠牲者」と呼ばれる。
いや、一方を「犠牲者」と呼ぶように、もう片方を「英霊」と呼ぶように強制される。

航空機が戦争に利用されて、戦地を超えて、都市を爆撃できるようになった時点から、攻撃するのは軍人でも、攻撃されるのは軍人を含めた国民全員で、全てが「最前戦」であり、「銃後」は無いにひとしい。
それなのに一部の人たちだけを「英霊」と呼ぶことは違和感を感じます。