2023年ブックレビュー
さてさて、今年のブックレビューです。
2023年は51冊を読み終えました。今年の感想を言うと、「期待せずに読んでみたら良かった」ものが多かった?と感じました。
まず最初はなんと言っても3年目(3周目)に入った「源氏物語」。今年は100年前にイギリス人のアーサー・ウェイリーが英語訳した英語版源氏物語を、毬矢まりえ、森山恵姉妹がその英訳の趣向を残しつつ日本語に訳し直した「源氏物語 A・ウェイリー版」全四巻。
現代アメリカのヤング・アダルト・ホラー小説「ボーンズ・アンド・オール」。なんとなく映画を見に行ったら良かったので、原作も読んでみようと読んだら、またこれも良かった。
愛する相手を食べてしまわずにはいられない性(さが)に生まれた少女と、彼女と同じ運命に生まれた少年の物語。
内田百閒(うちだひゃっけん)と言う作家の作品を読んでみたいなと思いつつ、これまで手が伸びなかった。そんな時、内田百閒の人となりを描いた漫画がある事を知った。
「ヒヤッケンマワリ」竹田昼作。
この中で描かれる内田百閒の捻くれて、負けず嫌いで、ちょっと惚けた爺さん像に惹かれ、その鉄道好きが全面に表れた鉄道旅行記「第一阿房列車」も読んだら面白かった。
今年はSFは2冊しか読まなかった。しかし、その一冊が良かった。
「わたしたちの怪獣」久永実木彦作。
SF的な舞台設定だが、それを利用してちょっとこれまで読んだことのない視点の切り替えが行われて、意外な展開と結末を迎える。読み応えのある作品集。
ノンフィクションも豊作だった。
「暁の宇品」堀川惠子作。
戦前、「軍都」広島の軍港「宇品」に置かれた陸軍船舶司令部。ここは、日露戦争、日中戦争の時から、本土から戦地に兵士や武器、食糧を搬出する兵站の中枢部隊だった。
その重要な部門が、如何に帝国陸軍に於いて軽んじられ、兵站を重視しない日本が敗戦の道を歩んだのかを明らかにしている。
「それでも食べて生きてゆく 東京の台所」 大平一枝
一般の人々の台所を取材して、台所からその人の人生を切り取った記事にする「東京の台所」シリーズ。
台所を巡って愛する人との別れと、その後の再生について語っている。
そして、個人的な思いから、読んだのが
「七帝柔道記」 増田俊哉作。
旧帝国大学である北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の七大学で毎年行われる七帝柔道(ななていじゅうどう)大会。
この柔道大会はオリンピックなど、いわゆる現代のほぼすべての「柔道」、立ち技を基本とする講道館系の柔道とは異なり、いきなり寝技に引き込むことも許された「高専柔道」と呼ばれる柔道ルールで行われる。
この七帝柔道に出場したいがために北海道大学に入学し、朝から晩まで文字通り柔道に明け暮れた著者の自伝的小説。
著者は僕と同じ1965年生まれ。二浪して北大に入学したのも同じ。この小説の中で描かれる北大周辺の風景はまさに北大生だった僕がみていた風景と同じ。おそらくあの柔道場の前を通った時、大学近辺の学生が暮らすアパートばかりの通りを歩いていた時、彼を見かけていたかもしれない。その同時代の思いと、彼のいた北大が二年目の七帝柔道大会で対戦する東大には僕の高校の同級生が数名名を連ねている。
まるで、小説の世界の中に自分も存在していたかの様な錯覚と、柔道にかけるムッとくるような熱意に心打たれた作品。
そして最後に絵本を紹介。
「僕は川のように話す」文ジョーダン・スコット、絵シドニー展スミス
吃音のために小学校でも孤立していたジョーダン。そんな彼を迎えにきた父が彼を川に連れて行って語りかける。
シドニー・スミスの絵の表現力と相俟って、とても魅力的な絵本になっている。
2022年ブックレビュー
今年の読書レビュー総括です。
今年のベストを選ぶとしたら、その上位の一冊は
「プロジェクト・ヘイル・メアリー 上・下」アンディ・ウィアー作
冒頭からコールドスリープから覚めた主人公がそこに至る経緯を徐々に思い出しつつ、不可解な事態も進行していく前半、そして新しいバディとの出会いとその熱き友情の物語の後半。一粒で二度美味しい名作!
『プロジェクト・ヘイル・メアリー 上』
『プロジェクト・ヘイル・メアリー 下』
そして、同じSF分野からもう一作。
『キンドレッド (河出文庫)』 オクテイヴィア・E・バトラー作
作家志望の女性が突然意識を失い、目が覚めると見知らぬ場所にいだ。なんとそこは南北戦争前のアメリカ南部。白人の領主の少年と親しくなるが、自分はその世界では奴隷として扱われる黒人なのだ、、、。人間としての威厳と自らの命を天秤にかけざるを得ないディストピア小説。
『キンドレッド (河出文庫)』 オクテイヴィア・E・バトラー
次はノンフィクション。
全く期待をせず気軽な気持ちで読み始めた『キリン解剖記 (ナツメ社サイエンス)』 郡司芽久著。
キリンが好きという想いだけでキリンの研究をしようと東大に入り、見よう見まねで動物園で死亡したキリンの解体や解剖を行い、それからは日本中でキリンが死ぬと駆けつけて解剖するを繰り返し、そして「キリンの首は長いが頚椎の骨の数は同じ」という定説に疑問を感じ、8個目の頸椎の役割をする骨の存在を明らかにする研究で博士になるという、研究者の熱意を感じ取れた秀逸な自伝。
『キリン解剖記 (ナツメ社サイエンス)』 郡司芽久
『コード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち』 ライザ・マンディ著
コード・ガールズ、それは第二次大戦下の米国において、ドイツや日本の暗号解読に従事した女性たちのこと。
それは男性が兵士として出征してしまい、その人手不足を埋めるための手段だった。それは長時間椅子に座って根気よく分析を続ける作業に女性は向いているという偏見によるものだった。
その社会状況と偏見が素晴らしい成果を挙げたが、終戦とともに男性が帰国して、女性たちは再び家庭に戻っていった。その後も彼女たちは国家機密とされた自分たちの成果について多くを語る事はなかった。その歴史の秘密を明かした良書。
『コード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち』 ライザ・マンディ著
『『焼き場に立つ少年』は何処へ―ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告』 吉岡栄二郎
アメリカ軍の従軍カメラマンであったジョー・オダネル氏が長崎で撮影したとされる一枚の写真「焼き場に立つ少年」。
これはオダネル氏が晩年になって公開したために本人の記憶が曖昧になっていて、撮影場所が特定できていないために長崎の原爆被害者であること自体への疑義や、スイス国連本部の原爆展において「直列不動の姿勢が子どもらしくない」という理由で展示を拒否されたことなどを受けて、この写真の撮影された時期と場所を特定しようとする試みの記録。
20年近く原爆に関する著作を読み続けてきたので、この写真のことは何度も見てきたし、ジョー・オダネル氏に取材したテレビ番組も何度か見たが、その新しい側面を見せてくれた。
『『焼き場に立つ少年』は何処へ―ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告』 吉岡栄二郎
原爆関連でもう一作
『原爆投下、米国人医師は何を見たか:マンハッタン計画から広島・長崎まで、隠蔽された真実』 ジェームズ・L・ノーラン著
放射線医学に通じた産科医であったため、マンハッタン計画の最初期から参画することになったジェームズ・F・ノーラン医師。原爆投下直後の広島、長崎にも行きその影響を調査するだけでなく、戦後はアメリカの行う核実験への協力も行なったが、それらの調査と研究は国家機密であるとともに、大戦直後からアメリカは核兵器の放射線の人体に対する影響を否定していたために、明らかにされてこなかった。
これらの事は当然日本と無関係ではあり得ず、アメリカが核兵器の放射線の人体に対する影響認めていない状況で、日本政府が被爆者の原爆症を認めることもできなかったという状況を生んだ。
孫である著者は祖父が核兵器のもたらした勝利と悲劇にどう向き合ってきたかを追う。
『原爆投下、米国人医師は何を見たか:マンハッタン計画から広島・長崎まで、隠蔽された真実』 ジェームズ・L・ノーラン著
今年も岸本佐知子さんの翻訳本を楽しめた。
『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』
失敗をして閑職に追いやられたイギリス保安局(旧MI5)の窓際スパイたちの活躍を描くサスペンス 『窓際のスパイ (ハヤカワ文庫NV)』
そして何より今年もまた源氏物語を全巻通読しました♪。
8月に感じる違和感
もうすぐ終戦の日がきます。
この頃になると毎年感じる事は靖国神社参拝に関する事です。
政府の要人が参拝するとかそう言うことはおいて、一般の人が靖国神社の「英霊」を悼むことは当然で国を守った軍人に敬意を持てという点です。
あそこに祀られている人たちが国を守るために働いたであろうことには同意しますが、彼らを「英霊」として、他と区別して、一段も二段も高く尊いものであるかのように扱うことにはいつも違和感を感じます。
例えば広島に原爆が落とされた日。広島の中心部には何千人という中学生が集められていました。10キロ以上離れたところからもです。
彼らは爆撃を受けた時に建物火災の拡大を防ぐために、建物を壊して間引きする「建物疎開」という作業をする要員として集められていました。
勿論、建物疎開を指示したのも、そこに中学生を動員することを指示したのも、「日本軍」です。
赤紙で召集されて、努めとして行動した軍人。たまたま「軍都」とされた広島に暮らしていたがために、軍の指示で作業に徴発された中学生。
片方は国のために勇ましく戦って死んだ「英霊」と呼ばれ、もう一方はまるでただ無力な戦争の犠牲者だと呼ばれる。僕はそこに猛烈に違和感を感じます。
原爆を作り落としたのはアメリカです。
原爆投下をしなければ本土決戦になり、更に二百万人以上の犠牲が出たとか、真珠湾に卑怯な奇襲をした日本に対する報復として原爆投下を正当化する見方は、アメリカの国策的なプロパガンダに過ぎないと言えます。
しかし、どのような背景かあったにせよ、プロパガンダに利用されているように、奇襲を以て宣戦布告をした事、既に戦争を続けるリソースが尽きていたにもかかわらずなかなか決断ができなかった(終戦を昭和天皇の「英断」と捉える意見には賛成できません)事があの結果を招いたことは事実です。
広島は日清戦争の際には大本営が置かれた要衝で、戦艦大和の建造もここで行われていました。陸海軍の拠点が集まる「軍都」と呼ばれた都市のひとつであり、それはアメリカが原爆の投下目標を決める際の理由の一つになりました。
広島では軍人も民間人も数万とも数十万とも言われる人たちが原爆で亡くなりましたが、日本軍がそこに関与しなかったわけでも、民間人がただ犠牲になったわけでもなく、赤紙もなく軍に徴発されて協力して命を失ったようにも思えるのです。
しかも、日本軍は起死回生の秘密兵器開発として原爆開発も指揮していました。資金も戦略もなくお決まりの陸軍と海軍がバラバラに研究をさせていたので、まだ未熟なものでしたが、結局は開発競争に負けて、先に落とされたのです。
万に一つ、先に開発していたら形勢逆転のために敵国に落としたであろうことは想像に難くありません。それこそ一発必中のために特攻で落とさせたかもしれないとも思います。
しかも、軍は、そして昭和天皇も決定的な爆弾を落とされていながら、その3日後に二発目までも落とされていながら、さらに数日ゆっくりとよく考えてから敗戦を認めるという慎重さ。
それでも一方は勇ましさや貢献を想像させる「英霊」と呼ばれ、他方はただただ受け身な「犠牲者」と呼ばれる。
いや、一方を「犠牲者」と呼ぶように、もう片方を「英霊」と呼ぶように強制される。
航空機が戦争に利用されて、戦地を超えて、都市を爆撃できるようになった時点から、攻撃するのは軍人でも、攻撃されるのは軍人を含めた国民全員で、全てが「最前戦」であり、「銃後」は無いにひとしい。
それなのに一部の人たちだけを「英霊」と呼ぶことは違和感を感じます。
2021年読書レビュー
大晦日なので今年2021年の読書の総括です。
2021年に読み終わった本は77冊です https://booklog.jp/users/shinjif/stats?year=2021
そのうち「窯変 源氏物語」(全14巻)、「風と共に去りぬ」(全5巻)があるので作品数としては60作品ということになります。
その中の小説のベストは
ミステリーなんですが、謎解きというよりもこの舞台となる湿地地帯とそこに暮らす動植物の描写が素晴らしい。
一方で男女差別、黒人差別などのアメリカの闇の部分も描かれる。
しかも作者であるディーリア・オーウェンズは既に老齢で本業は生物学者、これまでは学者としてアフリカに滞在した時の回顧録などは書いたが、小説はこれが処女作だったというから驚き。
そして
朝倉かすみさんが描く中年の切ない恋愛物語。白馬もお城もない、病と低所得の暮らしが舞台の恋愛話。
同じ朝倉かすみさんの
はガラリと変わって少年西村朝日のどこかほのぼのとした連作短編も良かった。
ジェーン・スーさんの半自伝的とも思われる父と娘のやりとりを描いた物語も、一部は自分に関わるところもあってよかった。
さて、ノンフィクションでは
ヒロシマの原爆被害の実態を初めて世界に明らかにしたジョン・ハーシーの “HIROSHIMA” 。ジョン・ハーシーとそれを載せた雑誌「ニューヨーカー」はなぜ被爆地広島を取材しようと考えたのか?完全に報道が規制されていた広島にあって、なぜこの記事がアメリカの雑誌に掲載できたのか?その裏側を丹念に取材し、明らかにしている。
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」と共に読んでもらいたい。
そしてもう一冊
吃音、すなわち「どもり」。高校生の頃に吃音を苦にして飛び降り自殺をした男性。彼は結局一命を取り留め、死ぬほど苦しんだ吃音を抱えたままで生き続けなければならなくなった。
彼が吃音を克服しようとする姿と、日本において吃音をどう捉えてきたかなどの歴史も追いかける。
はっきりとした原因や改善させる方法も確立していない中で、吃音を抱えた人たちがいかに苦しんでいるかが語られる。
そして、12月になってから読んだ
巷でいわれる「おふくろの味」というものが意外と新しいものであり、それは戦後の日本の発展、地方と都市の文化の違いに大きく関係するものだということがわかる。
半年かけて読んだ「風と共に去りぬ」も一年かけて読んだ「源氏物語」もまあ面白かったんですけど、それはコロナのこともあって読書時間も増えたのでトライしました。まぁ好きな人が読んでくれればいいかなと。
子どもの落書き
SNSが多くの人に使われるようになってから、選挙の度に思うことがある。
支持政党や候補者に賛辞を送るのは、まあいいのだけど、主張の異なる政党や候補者を子どもの喧嘩みたいに貶める言動だ。
子どもの喧嘩みたいと書いたのは、例えば
・容姿を取り上げて侮蔑的な表現をする
・人名をもじって侮蔑的な呼び方をする
という行為。
次点として「バカ」とかいう言葉を使うのも入れておきたいけど。
こんな言動、嘲笑以外の何者でもないけど、してなんか意味あるのかなと思う。しかも若年層だけでなく、僕と同じような年代の人だったりもする。
これって差別(本人の意思と関係のない要素を取り上げて貶める行為)だと僕は思う。少なくとも相手を自分より下に見て卑下していなかったら出てこない言葉だと思う。
仮に差別ではなかったとしても、こんな言動に何か意味がある?子どもの口喧嘩のセリフと同じじゃないか。
批判したかったらもうちょっとマシなこと言いなさい。
仮にその人が別の口で素晴らしい政治信条や、国家論を述べていたとしよう。だとしても、僕はその人は支持しない。支持できない。仮にその人のおかげでその主張通りの世界ができたとしても、その人と意見を異にする人は差別する世界だというのが明らかだから。
成功と失敗の分かれ目
いったい何をもって「成功」とするのか。
パラリンピックで3度の金メダルに輝、東京パラリンピック出場予定だった米国選手が必要不可欠なパーソナルケアアシスタント(PCA)である彼女の母親の同行を認めてもらうことができず出場を断念した。
米国のオリパラ委員会は2017年以降のすべての国際大会でPCAの同行を認めてきたが、今回は新たなコロナ対策のために同行を制限する事を米国オリパラ委員会が決めた。
彼女はこの決定に憤りを感じており、改善を求めているが、同行を制限する理由は東京で盲ろう者の選手にとって合理的な宿泊施設の確保ができないためとなっている。
これは推測だが、直前まで開催か中止かで揺れただけでなく、感染者数の推移も大きく変化していた中で受け入れる日本側のコロナ対策もなかなかはっきりせず、参加各国との調整ができていなかったのでは?
そしてもう一つはパラリンピック参加選手への配慮がどこまでなされているのか?
とりあえず開会して、オリンピックの閉幕まで突っ走られれば「成功」という事なのだろうか。
2020年読書レビュー
今年は小学校の同級生の急逝に始まり、自分の父の急逝で終わった一年でした。ただ「死」という観点だけではなく、自分の年齢を意識した1年でした。そして、あと10年、いや15年どう生きるか、通してやりたい事は何かを意識させられました。なかなかその思いを自己実現できませんが、、、、。
さて、今年読んだ本のレビューです。
今年は70冊、上下巻などを1とカウントする作品数では66作品を読みました。(ただし「鬼滅の刃」全巻を除く)
去年が72冊に対して今年が70冊。多くの人がコロナで自宅にいることが増えて、読書量が増えたと言われていますが、私は減りました?。そんなつもりはないのですが、まぁ諸々の事情があり、結局通年して勤務形態に変化はなく、毎日通勤していたので読書量が増えるような要素がなかったですね・・・。一方で2年連続で50冊以上を読めたのは初めてでは?
今年の注目作は クラウス・コルドン作のベルリン三部作でしょう。
ベルリン1919赤い水兵(上・下)
ベルリン1933壁を背にして(上・下)
ベルリン1945はじめての春(上・下)
岩波少年文庫なので少年向けということですが、大人が読んでも、読みがいのある内容です。1919は第一次大戦でのドイツの敗戦とワイマール共和国の成立(というか、その先行きにいかに暗雲が垂れ込めていたかがわかる)。1933はナチス・ドイツの台頭と迫害。主人公の家族や友人もナチス支持者と迫害されて姿を消す人たちに別れていく。1945は第二次大戦の敗戦と、残された人たち。ドイツという国を舞台にしたこの時期の物語は、今の自分たちにとっては一種のディストピア小説ではないかと思える。
次にジャンル別。小説で良かったのは
ナオミ・オルダーマン 「パワー」
今年のキーワードの一つはLGBTQであったと思うけれど、男性上位という状況を生んだ一つの理由は言うまでもなく男性の方が腕力が強いからだ。同性に対しても、異性に対しても人間は最終的には「力」で相手を捩じ伏せて優位に立ってきた。しかし、もし女性が男性を捩じ伏せられるような「力」(パワー)を持ったならばどうなるか。
この小説中では鎖骨あたりの部分に角のような突起を持つ女性が生まれるようになり、その突起を持つ女性は「電撃」によって相手を攻撃できるようになったという設定。そういう特殊種能力を持つ女性の増加によって徐々に男性との力関係は逆転するが、では女性が上位になったときにユートピアが来るかといえば、新たな権力と権力の衝突に向かって進み始める・・・。
エンターテイメント性もあって、もっと話題になっても良いと思われる一冊。
次はノンフィクション分野。
前間孝則 「悲劇の発動機『誉』」
第二次大戦初期において日本が先頭を優勢に進められたのは零戦という戦闘機のおかげであり、機体を開発したのは三菱だが、零戦の能力支えるエンジン「栄」を開発したのは中島飛行機だった。日本軍は零戦に次ぐ新戦力、冷戦を凌駕する新兵器として戦闘機「疾風(はやて)」や「紫電改」、爆撃機「銀河」などを次々と開発させたが、これらの新戦力を支えたエンジンも中島飛行機が開発した「誉(ほまれ)」だった。しかし、これらの新兵器はほとんど活躍することもないママ終戦を迎えた。なぜなら新エンジン「誉」は大量生産・実戦投入されるとトラブル続きで試作において出していた好結果を出せなかったからだ。
零戦の成功は日本の高い技術力があったとされるが、では「誉」においてその技術力はどうなったのか?そもそもその「高い技術力」とは?
ものづくりの国・ニッポンという看板をもう一度見直しておく必要を感じる一冊でした。
エンターテイメント部門賞は(そんなもんあったんか)、
いとうせいこう 「ど忘れ書道」
いとうせいこう氏がまったく役に立たない本と断言する一冊。確かに役に立ちません、でも、読んでいてゲラゲラ笑えます。そういう本を書けるところにこの人の文章力、表現力の素晴らしさを感じます。
番外というか、佳作を3作ほど。
笹生那実 「薔薇はシュラバで生まれるー70年代少女漫画アシスタント奮戦記」
ここ最近多い漫画家のアシスタントさんによる漫画家のすごい仕事ぶり列伝もの。実際に美内すずえさんやくらもちふさこ等々、70年代から80年代に超売れっ子だった少女漫画家の人たちのアシスタントをしていた時期のエピソード集。
ラーラ・プレスコット「あの本は読まれているか」
ソ連の作家ボリス・パステルナークが書いた大作『ドクトル・ジバゴ』。ロシア革命を批判する内容としてソ連では出版ができなかった。しかし、CIAはこれを国外に持ち出し、印刷して、ソ連国民にも流布させることで自国の政治体制を知らしめたいと考えて秘密作戦を進める。パステルナークに尽くした愛人やCIAに受付嬢やタイピストとして雇用され、秘密任務についた女性たちを中心に語られる物語。
NHKスペシャル取材班 「原爆死の真実ーきのこ雲の下で起きていたこと」
爆心地から南に下がったところにある御幸橋で、焼け焦げた服をきた人々の姿をとらえた二枚の白黒写真。広島の原爆投下の写真として最も有名な写真。そして、ヒロシマに原爆が投下されたその日の原爆の惨禍を記録した写真はこの二枚以外には存在しない。
2015年のNHKスペシャルでは、この2枚の写真をもとに、この写真に写っていた人、この日の御幸橋にいた人たちに取材し、あの日、きのこ雲の下で何が起きていたのか、人がどのようにして死んでいってしまったのか、そしてどうやってごくわずかの人が生き延びたのかを明らかにしていく。
以下は今年の読書リスト(読んだ順)です。ブクログの本棚では一部コメントなども残しています。
軍用機の誕生: 日本軍の航空戦略と技術開発 (歴史文化ライブラリー)
薔薇はシュラバで生まれる―70年代少女漫画アシスタント奮闘記―
お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門
沈黙する教室 1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語
ベルリン1945 はじめての春(上) (岩波少年文庫 625)
ベルリン1945 はじめての春(下) (岩波少年文庫 626)
【新訳】吠える その他の詩 (SWITCH LIBRARY)
語りなおしシェイクスピア 1 テンペスト 獄中シェイクスピア劇団 (語りなおしシェイクスピア テンペスト)