2025年ブックレビュー
紅白も後半に入ってしまい、追い立てられるようにしてというか、追い立てられて書き始めました。2025年のブックレビューです。
今年はおよそ43作品ほど読みました。
今年の特徴は小説をたくさん読んだということでしょうか。ノンフィクション好きな自分としては、ノンフィクション少なめの一年でした。
そんな中で印象的な一冊は門井慶喜作「札幌誕生」でした。
誰しも青春時代を過ごした街は、他の街とは異なる思いがあるのではないかと思うのですが、自分にとってはそれが札幌です。この作品は明治維新直後、北海道の荒野に札幌という都市を創り上げようとしたした人々の物語です。硬いノンフィクションというよりも、史実をベースにした時代小説的な趣の作品でした。
では、バリバリの小説ではどれが?というと、ハン・ガン作、きむふな訳「菜食主義者」。そのタイトルからは想像もつかない、そして読み始めてもその着地点の見えない衝撃的でありながら、作品の意図を想像する時、何層にも深く作者の思いが重なっていて、幾通りもの読み方ができる作品ではないかと思います。
もう1作品、女性の書いた作品を。柚木麻子作「BUTTER」です。
この作品は実際に起きた事件、その犯人である女性が重要な登場人物のモデルとなっているのですが、実際に起きた事件を追うのではなく、それはあくまでも着想を得た部分にすぎず、そこからとてつもない、これもまた行き着く先の見えない物語を紡ぎ出しています。「菜食主義者」が着地点が見えないとすれば、こちらの作品は読み通した時に自分が辿ってきた道を見失っていそうな作品です。
ちなみに今年王谷晶さんの「ババヤガの夜」がイギリスのミステリー系の文学賞である「ダガー賞」を受賞して話題になりましたが、「BUTTER」もノミネートされており、惜しくも受賞を逃しました。イギリスでは女性に人気の作品だそうです。
それにしても「菜食主義者」にしても、「BUTTER」にしても、異なる国の異なる言語の読者に作品を伝える翻訳者の人たちの働きに感謝です。
言葉を訳すという作業は決して単語を逐一置き換えるという作業とは異なります。前後の脈略はもちろん、その作品の書かれた時代や社会的背景も勘案し、文章のリズム、場面設定で選ぶ言葉も変わってきますが、もう一つ大きな要素は翻訳者の感性です。おそらく3人翻訳者が1つの作品を訳しても同じ訳にはならないでしょう。単純にわからない英文をAIで日本語に訳してもらっているのとはわけが違う。
さて、女性の作家が続いたので、男性作家の小説も挙げておきます。
小川哲作「君のクイズ」。
クイズ番組で問題文を読み始める前に正解を言い当てた回答者がいたとしたら、彼は一体どうやって問題文を予想し、正解を導いたのか?
まるでミステリのような設定にどんどん引き込まれていって、さいごにその見事な謎解きに納得しながら、ちょっと考えさせられるそんな作品。しのごの言っていないで、短い作品だから読みましょう。
このほかにも今年はJ・D・サリンジャーの短編を全て読むということもやりました。
漫画では、世の中的にはなんだか外国人に対して目くじら立てる人が多かった年でした。政治家の人たちも人気が欲しくてその風潮に乗って見せて、有る事無い事言っていたそんな年でした。だからこそ 黒丸「東京サラダボウル」をお勧めします。全5巻です。
個人的には「昭和」、特に戦後の昭和という時代は「メイド・イン・ジャパン」が粗悪品の代名詞と呼ばれ、団体で海外旅行に行っては現地の習慣や風習を理解しないまま大声で日本語で喋って、所構わずカメラで写真を撮る国の人たちというレッテルから日本人が脱却しようとして必死になっていた時代という認識です。
昭和百年でようやくそんな自分から脱却したにも関わらず、他国の人を嗤うのは修行が足りないと感じます。
さて、その他に個人的にはパンの本もたくさん書いました。
もともと料理の写真が載ったレシピ集的な本は見ていて飽きないので好きなのですが、パンとサンドイッチに明け暮れた一年でもありました。
それではいい年を。
2024年ブックレビュー
今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」
もうこれしかここに書いていない感がありますが、2024年に読んだ本のまとめです。
今年は37冊を読了しました。
但し、全11巻で完結した漫画を1冊と数えています。一方で上下巻のものは2冊と数えています。
また、実は今1冊読んでいる最中で、ひょっとすると今年中に読み終わるかもしれません。
今年のベストはなんといってもこの3作品です。「ベスト」と言いながら3つ選んでいて、"Best Three" とも言わないのは、この3作品は今年読んだ作品の中で群を抜いて心に残っていて、且つ、甲乙をつけ難いからです。
そのベストの1つ目はヤマシタトモコさんの「違国日記」(全11巻)です。
中学卒業を目前にして両親を事故で失った朝。葬儀の席で朝の今後の養育をめぐって親族の中で「盥(たらい)まわし」となりそうな状況から彼女を救い出したのは叔母で独身の小説家、高代槙生。朝の母親は彼女の姉だが、槙生は姉のことが大嫌いだったといって憚らない。
15歳で孤児となった朝と、独特の孤高な生き方を貫く槙生という二人と、二人を取り巻く様々な人たちを描く。
話題はLGBTQにも及ぶが、何よりもヤマシタトコモさんの描く朝の心理描写が素晴らしい。そして、物語の中で使われるセリフ回しも。ラストで槙生が朝とその友人たちに贈る言葉もとても素晴らしい。
二つ目は 山内マリコ さんの小説「マリリン・トールド・ミー」です。
マリリン・モンローという名前を聞いて、彼女の名前を知らないとか、写真を見たことがないという人はいないだろうし、「どういう人」?」と聞かれて、彼女の出演作品を1作も見たことがなかったとしても映画スターであり、「セックス・シンボル」であった女優と、多くの人がすぐに答えるだろう。そう、彼女の映画は見たことがないにも関わらず、だ。
主人公の瀬戸杏奈は女子大生。だが、2020年のコロナ禍のピークに入学し、案の定大学もまともには始まらず、コロナでまともなバイトもなく、奨学金だけが部屋代に消費されていく生活になる。シングル・マザーの家庭に生まれ、母親が苦労して自分を大学に入れてくれたことを知っている彼女は、その母親の好意を無駄にしそうな状況に焦燥感を感じる。
そんな時に彼女のもとにマリリン・モンローから電話がかかってくる。
マリリン・モンローという女性はアクターズ・スクールで演技の勉強もし、沢山の本も読み、いい俳優であろうと努力した人だったけれども、彼女のところに来る映画のオファーはどれも「ダム・ブロンド」、つまり頭の弱い金髪女という役回りばかり。
そういう不満ばかりの生活について杏奈に話しかける。
ハリウッド・スターの置かれた理不尽な状況に自分や、自分の母親と似たものを感じ取った杏奈はジェンダー社会論というゼミを取り、マリリン・モンローを卒論のテーマに取り上げる事で、その疑問の答えを見つけようとする。
何よりも、男として読んでいて居心地の悪さばかりを感じる1冊です。その居心地の悪さは男の都合の良さ、女性を脇に置くことで成立していた男社会の理不尽さを目の前に突きつけられるからです。
そして、杏奈という女性の逞しい成長ぶりが素晴らしい。
さて、最後にとっておいた3冊目は、僕のマリ さんの 「常識のない喫茶店」です。
「やさしい人しか雇わない」をモットーとするマスターがいる喫茶店。そこでは、「働いている人が嫌な気持ちになる人はお客様ではない」。不快な客は遠慮なく「出禁」にする。
喫茶店に表れる様々な客の様々な行動を取り上げながら、時に同情をし、時には厳しく追い払って「出禁」を通告する。
そういう出来事の中で出てくる「言葉」が思いのほか自分の胸に刺さった。
人から大事に扱われるのはうれしい。やさしさはいろんなかたちをしている。
不快なことには声を上げる。出ていってくださいと言う。自分たちだけでなく、他のお客様を守るためにも、その勇気は必要だ。
きちんと自分と気持ちを大事にすることで強くなったし、人の痛みにも敏感になった。
自分はサラリーマンで、客商売ではないが、自分と自分の部下が仕事をする場はある意味「店内」だ。その「店内」で自分たちが仕事ができる環境を守りたいという気持ちはこの本の中の「店」を守る気持ちと相通じるものがあると思った。
以上が今年のベストの3冊でした。
実は今年の読了冊数34というのは、とても小さい数字です。
21年の77冊という数字の半分以下になってしまいました。別に読んだ冊数の多さを競うつもりはありませんが、50冊くらいは読みたいと思っているし、自分の年齢を考えても、あと読める冊数をカウントすることは決して難しくはありません。
今年の前半は身辺がゴタゴタしたので、少なくなった理由はわかっていますが、それでもちょっと寂しい1年でした。
さて、そんな中で読んだ他の作品から、、、
ノンフィクションでは
プーチンを痛烈に批判していた女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ。彼女は2006年10月7日(プーチンの誕生日)に自宅アパートで何者かによって射殺されました。彼女の娘であり、ジャーナリストでもあるヴェーラが、母・アンナのありし日の戦いを描き、現在のプーチン政権を痛烈に批判した一冊です。
アンナ・ポリトコフスカヤが暗殺された時もニュースになったことを覚えていますが、今にも通じるプーチン政権の恐ろしさが描かれていると思います。
同じく、現在の世界状況を知るための1冊。
とりあえず、ニュースを見る前に、この本を読んで背景を理解してニュースを聞いた方がいいと思います。
戦争が起きると、負傷兵が生まれます。義手や義足の進化も、実はそういう戦争の産物なのかと感じてしまいます。
パラリンピックの陸上競技などを見ていると、義肢の方が人間の脚よりも優秀なのではないかと思ったりしますが、そんな義手、義足の最先端の状況や、それを作る人、使う人たちの姿を知ることができます。
最後にお隣の韓国文学が盛り上がりを見せています。
ノーベル文学賞をとったハン・ガンさん然り。最近自分も英米だけでなく、他国の小説も機会があれば読むようにしていますが、「フィフティ・ピーブル となりの国のものがたり」が良かったです。
51名の人たちの名前が各章のタイトルになっていて、その人たちを主人公とする短編が集まった短編集とも言えるが、実はその人たちが他の人の話の中に少しだけ出てきたりして、51の物語が薄く、広く繋がっている、1つの群像劇とも解釈できる。
この中の一人は自分自身ではないかと捉えることもできるし、この人は自分の知っているあの人に似ていると感じることもできる。
しかし、それらの人たちが全て何かで、どこかで繋がっていて、決して他人事と考えてはいけないんだということかもしれない。
さて、
2023年ブックレビュー
さてさて、今年のブックレビューです。
2023年は51冊を読み終えました。今年の感想を言うと、「期待せずに読んでみたら良かった」ものが多かった?と感じました。
まず最初はなんと言っても3年目(3周目)に入った「源氏物語」。今年は100年前にイギリス人のアーサー・ウェイリーが英語訳した英語版源氏物語を、毬矢まりえ、森山恵姉妹がその英訳の趣向を残しつつ日本語に訳し直した「源氏物語 A・ウェイリー版」全四巻。
現代アメリカのヤング・アダルト・ホラー小説「ボーンズ・アンド・オール」。なんとなく映画を見に行ったら良かったので、原作も読んでみようと読んだら、またこれも良かった。
愛する相手を食べてしまわずにはいられない性(さが)に生まれた少女と、彼女と同じ運命に生まれた少年の物語。
内田百閒(うちだひゃっけん)と言う作家の作品を読んでみたいなと思いつつ、これまで手が伸びなかった。そんな時、内田百閒の人となりを描いた漫画がある事を知った。
「ヒヤッケンマワリ」竹田昼作。
この中で描かれる内田百閒の捻くれて、負けず嫌いで、ちょっと惚けた爺さん像に惹かれ、その鉄道好きが全面に表れた鉄道旅行記「第一阿房列車」も読んだら面白かった。
今年はSFは2冊しか読まなかった。しかし、その一冊が良かった。
「わたしたちの怪獣」久永実木彦作。
SF的な舞台設定だが、それを利用してちょっとこれまで読んだことのない視点の切り替えが行われて、意外な展開と結末を迎える。読み応えのある作品集。
ノンフィクションも豊作だった。
「暁の宇品」堀川惠子作。
戦前、「軍都」広島の軍港「宇品」に置かれた陸軍船舶司令部。ここは、日露戦争、日中戦争の時から、本土から戦地に兵士や武器、食糧を搬出する兵站の中枢部隊だった。
その重要な部門が、如何に帝国陸軍に於いて軽んじられ、兵站を重視しない日本が敗戦の道を歩んだのかを明らかにしている。
「それでも食べて生きてゆく 東京の台所」 大平一枝
一般の人々の台所を取材して、台所からその人の人生を切り取った記事にする「東京の台所」シリーズ。
台所を巡って愛する人との別れと、その後の再生について語っている。
そして、個人的な思いから、読んだのが
「七帝柔道記」 増田俊哉作。
旧帝国大学である北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の七大学で毎年行われる七帝柔道(ななていじゅうどう)大会。
この柔道大会はオリンピックなど、いわゆる現代のほぼすべての「柔道」、立ち技を基本とする講道館系の柔道とは異なり、いきなり寝技に引き込むことも許された「高専柔道」と呼ばれる柔道ルールで行われる。
この七帝柔道に出場したいがために北海道大学に入学し、朝から晩まで文字通り柔道に明け暮れた著者の自伝的小説。
著者は僕と同じ1965年生まれ。二浪して北大に入学したのも同じ。この小説の中で描かれる北大周辺の風景はまさに北大生だった僕がみていた風景と同じ。おそらくあの柔道場の前を通った時、大学近辺の学生が暮らすアパートばかりの通りを歩いていた時、彼を見かけていたかもしれない。その同時代の思いと、彼のいた北大が二年目の七帝柔道大会で対戦する東大には僕の高校の同級生が数名名を連ねている。
まるで、小説の世界の中に自分も存在していたかの様な錯覚と、柔道にかけるムッとくるような熱意に心打たれた作品。
そして最後に絵本を紹介。
「僕は川のように話す」文ジョーダン・スコット、絵シドニー展スミス
吃音のために小学校でも孤立していたジョーダン。そんな彼を迎えにきた父が彼を川に連れて行って語りかける。
シドニー・スミスの絵の表現力と相俟って、とても魅力的な絵本になっている。
2022年ブックレビュー
今年の読書レビュー総括です。
今年のベストを選ぶとしたら、その上位の一冊は
「プロジェクト・ヘイル・メアリー 上・下」アンディ・ウィアー作
冒頭からコールドスリープから覚めた主人公がそこに至る経緯を徐々に思い出しつつ、不可解な事態も進行していく前半、そして新しいバディとの出会いとその熱き友情の物語の後半。一粒で二度美味しい名作!
『プロジェクト・ヘイル・メアリー 上』
『プロジェクト・ヘイル・メアリー 下』
そして、同じSF分野からもう一作。
『キンドレッド (河出文庫)』 オクテイヴィア・E・バトラー作
作家志望の女性が突然意識を失い、目が覚めると見知らぬ場所にいだ。なんとそこは南北戦争前のアメリカ南部。白人の領主の少年と親しくなるが、自分はその世界では奴隷として扱われる黒人なのだ、、、。人間としての威厳と自らの命を天秤にかけざるを得ないディストピア小説。
『キンドレッド (河出文庫)』 オクテイヴィア・E・バトラー
次はノンフィクション。
全く期待をせず気軽な気持ちで読み始めた『キリン解剖記 (ナツメ社サイエンス)』 郡司芽久著。
キリンが好きという想いだけでキリンの研究をしようと東大に入り、見よう見まねで動物園で死亡したキリンの解体や解剖を行い、それからは日本中でキリンが死ぬと駆けつけて解剖するを繰り返し、そして「キリンの首は長いが頚椎の骨の数は同じ」という定説に疑問を感じ、8個目の頸椎の役割をする骨の存在を明らかにする研究で博士になるという、研究者の熱意を感じ取れた秀逸な自伝。
『キリン解剖記 (ナツメ社サイエンス)』 郡司芽久
『コード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち』 ライザ・マンディ著
コード・ガールズ、それは第二次大戦下の米国において、ドイツや日本の暗号解読に従事した女性たちのこと。
それは男性が兵士として出征してしまい、その人手不足を埋めるための手段だった。それは長時間椅子に座って根気よく分析を続ける作業に女性は向いているという偏見によるものだった。
その社会状況と偏見が素晴らしい成果を挙げたが、終戦とともに男性が帰国して、女性たちは再び家庭に戻っていった。その後も彼女たちは国家機密とされた自分たちの成果について多くを語る事はなかった。その歴史の秘密を明かした良書。
『コード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち』 ライザ・マンディ著
『『焼き場に立つ少年』は何処へ―ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告』 吉岡栄二郎
アメリカ軍の従軍カメラマンであったジョー・オダネル氏が長崎で撮影したとされる一枚の写真「焼き場に立つ少年」。
これはオダネル氏が晩年になって公開したために本人の記憶が曖昧になっていて、撮影場所が特定できていないために長崎の原爆被害者であること自体への疑義や、スイス国連本部の原爆展において「直列不動の姿勢が子どもらしくない」という理由で展示を拒否されたことなどを受けて、この写真の撮影された時期と場所を特定しようとする試みの記録。
20年近く原爆に関する著作を読み続けてきたので、この写真のことは何度も見てきたし、ジョー・オダネル氏に取材したテレビ番組も何度か見たが、その新しい側面を見せてくれた。
『『焼き場に立つ少年』は何処へ―ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告』 吉岡栄二郎
原爆関連でもう一作
『原爆投下、米国人医師は何を見たか:マンハッタン計画から広島・長崎まで、隠蔽された真実』 ジェームズ・L・ノーラン著
放射線医学に通じた産科医であったため、マンハッタン計画の最初期から参画することになったジェームズ・F・ノーラン医師。原爆投下直後の広島、長崎にも行きその影響を調査するだけでなく、戦後はアメリカの行う核実験への協力も行なったが、それらの調査と研究は国家機密であるとともに、大戦直後からアメリカは核兵器の放射線の人体に対する影響を否定していたために、明らかにされてこなかった。
これらの事は当然日本と無関係ではあり得ず、アメリカが核兵器の放射線の人体に対する影響認めていない状況で、日本政府が被爆者の原爆症を認めることもできなかったという状況を生んだ。
孫である著者は祖父が核兵器のもたらした勝利と悲劇にどう向き合ってきたかを追う。
『原爆投下、米国人医師は何を見たか:マンハッタン計画から広島・長崎まで、隠蔽された真実』 ジェームズ・L・ノーラン著
今年も岸本佐知子さんの翻訳本を楽しめた。
『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』
失敗をして閑職に追いやられたイギリス保安局(旧MI5)の窓際スパイたちの活躍を描くサスペンス 『窓際のスパイ (ハヤカワ文庫NV)』
そして何より今年もまた源氏物語を全巻通読しました♪。
8月に感じる違和感
もうすぐ終戦の日がきます。
この頃になると毎年感じる事は靖国神社参拝に関する事です。
政府の要人が参拝するとかそう言うことはおいて、一般の人が靖国神社の「英霊」を悼むことは当然で国を守った軍人に敬意を持てという点です。
あそこに祀られている人たちが国を守るために働いたであろうことには同意しますが、彼らを「英霊」として、他と区別して、一段も二段も高く尊いものであるかのように扱うことにはいつも違和感を感じます。
例えば広島に原爆が落とされた日。広島の中心部には何千人という中学生が集められていました。10キロ以上離れたところからもです。
彼らは爆撃を受けた時に建物火災の拡大を防ぐために、建物を壊して間引きする「建物疎開」という作業をする要員として集められていました。
勿論、建物疎開を指示したのも、そこに中学生を動員することを指示したのも、「日本軍」です。
赤紙で召集されて、努めとして行動した軍人。たまたま「軍都」とされた広島に暮らしていたがために、軍の指示で作業に徴発された中学生。
片方は国のために勇ましく戦って死んだ「英霊」と呼ばれ、もう一方はまるでただ無力な戦争の犠牲者だと呼ばれる。僕はそこに猛烈に違和感を感じます。
原爆を作り落としたのはアメリカです。
原爆投下をしなければ本土決戦になり、更に二百万人以上の犠牲が出たとか、真珠湾に卑怯な奇襲をした日本に対する報復として原爆投下を正当化する見方は、アメリカの国策的なプロパガンダに過ぎないと言えます。
しかし、どのような背景かあったにせよ、プロパガンダに利用されているように、奇襲を以て宣戦布告をした事、既に戦争を続けるリソースが尽きていたにもかかわらずなかなか決断ができなかった(終戦を昭和天皇の「英断」と捉える意見には賛成できません)事があの結果を招いたことは事実です。
広島は日清戦争の際には大本営が置かれた要衝で、戦艦大和の建造もここで行われていました。陸海軍の拠点が集まる「軍都」と呼ばれた都市のひとつであり、それはアメリカが原爆の投下目標を決める際の理由の一つになりました。
広島では軍人も民間人も数万とも数十万とも言われる人たちが原爆で亡くなりましたが、日本軍がそこに関与しなかったわけでも、民間人がただ犠牲になったわけでもなく、赤紙もなく軍に徴発されて協力して命を失ったようにも思えるのです。
しかも、日本軍は起死回生の秘密兵器開発として原爆開発も指揮していました。資金も戦略もなくお決まりの陸軍と海軍がバラバラに研究をさせていたので、まだ未熟なものでしたが、結局は開発競争に負けて、先に落とされたのです。
万に一つ、先に開発していたら形勢逆転のために敵国に落としたであろうことは想像に難くありません。それこそ一発必中のために特攻で落とさせたかもしれないとも思います。
しかも、軍は、そして昭和天皇も決定的な爆弾を落とされていながら、その3日後に二発目までも落とされていながら、さらに数日ゆっくりとよく考えてから敗戦を認めるという慎重さ。
それでも一方は勇ましさや貢献を想像させる「英霊」と呼ばれ、他方はただただ受け身な「犠牲者」と呼ばれる。
いや、一方を「犠牲者」と呼ぶように、もう片方を「英霊」と呼ぶように強制される。
航空機が戦争に利用されて、戦地を超えて、都市を爆撃できるようになった時点から、攻撃するのは軍人でも、攻撃されるのは軍人を含めた国民全員で、全てが「最前戦」であり、「銃後」は無いにひとしい。
それなのに一部の人たちだけを「英霊」と呼ぶことは違和感を感じます。
2021年読書レビュー
大晦日なので今年2021年の読書の総括です。
2021年に読み終わった本は77冊です https://booklog.jp/users/shinjif/stats?year=2021
そのうち「窯変 源氏物語」(全14巻)、「風と共に去りぬ」(全5巻)があるので作品数としては60作品ということになります。
その中の小説のベストは
ミステリーなんですが、謎解きというよりもこの舞台となる湿地地帯とそこに暮らす動植物の描写が素晴らしい。
一方で男女差別、黒人差別などのアメリカの闇の部分も描かれる。
しかも作者であるディーリア・オーウェンズは既に老齢で本業は生物学者、これまでは学者としてアフリカに滞在した時の回顧録などは書いたが、小説はこれが処女作だったというから驚き。
そして
朝倉かすみさんが描く中年の切ない恋愛物語。白馬もお城もない、病と低所得の暮らしが舞台の恋愛話。
同じ朝倉かすみさんの
はガラリと変わって少年西村朝日のどこかほのぼのとした連作短編も良かった。
ジェーン・スーさんの半自伝的とも思われる父と娘のやりとりを描いた物語も、一部は自分に関わるところもあってよかった。
さて、ノンフィクションでは
ヒロシマの原爆被害の実態を初めて世界に明らかにしたジョン・ハーシーの “HIROSHIMA” 。ジョン・ハーシーとそれを載せた雑誌「ニューヨーカー」はなぜ被爆地広島を取材しようと考えたのか?完全に報道が規制されていた広島にあって、なぜこの記事がアメリカの雑誌に掲載できたのか?その裏側を丹念に取材し、明らかにしている。
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」と共に読んでもらいたい。
そしてもう一冊
吃音、すなわち「どもり」。高校生の頃に吃音を苦にして飛び降り自殺をした男性。彼は結局一命を取り留め、死ぬほど苦しんだ吃音を抱えたままで生き続けなければならなくなった。
彼が吃音を克服しようとする姿と、日本において吃音をどう捉えてきたかなどの歴史も追いかける。
はっきりとした原因や改善させる方法も確立していない中で、吃音を抱えた人たちがいかに苦しんでいるかが語られる。
そして、12月になってから読んだ
巷でいわれる「おふくろの味」というものが意外と新しいものであり、それは戦後の日本の発展、地方と都市の文化の違いに大きく関係するものだということがわかる。
半年かけて読んだ「風と共に去りぬ」も一年かけて読んだ「源氏物語」もまあ面白かったんですけど、それはコロナのこともあって読書時間も増えたのでトライしました。まぁ好きな人が読んでくれればいいかなと。
子どもの落書き
SNSが多くの人に使われるようになってから、選挙の度に思うことがある。
支持政党や候補者に賛辞を送るのは、まあいいのだけど、主張の異なる政党や候補者を子どもの喧嘩みたいに貶める言動だ。
子どもの喧嘩みたいと書いたのは、例えば
・容姿を取り上げて侮蔑的な表現をする
・人名をもじって侮蔑的な呼び方をする
という行為。
次点として「バカ」とかいう言葉を使うのも入れておきたいけど。
こんな言動、嘲笑以外の何者でもないけど、してなんか意味あるのかなと思う。しかも若年層だけでなく、僕と同じような年代の人だったりもする。
これって差別(本人の意思と関係のない要素を取り上げて貶める行為)だと僕は思う。少なくとも相手を自分より下に見て卑下していなかったら出てこない言葉だと思う。
仮に差別ではなかったとしても、こんな言動に何か意味がある?子どもの口喧嘩のセリフと同じじゃないか。
批判したかったらもうちょっとマシなこと言いなさい。
仮にその人が別の口で素晴らしい政治信条や、国家論を述べていたとしよう。だとしても、僕はその人は支持しない。支持できない。仮にその人のおかげでその主張通りの世界ができたとしても、その人と意見を異にする人は差別する世界だというのが明らかだから。


































