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今週のお題:会ってみたい有名人

生で見てみたいのは、アップルCEOのスティーブ・ジョブス。でも、会って話をしてみたいのは“もう一人のスティーブ”と呼ばれるスティーブ・ウォズニアック。ジョブスはやっぱり時の人でもあるし、時代の変革者だから、「見てみたい」という気がする。例えば何かのショーのゲスト・スピーカーでもいいから来てくれれば、話を聞きにいきたくなる。
アップルのもう一人のスティーブであるウォズは僕にとっては一つの目標と呼んでもいいような感じの人だ。「アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝」を読んだ時にも言及したが、彼はアップルでのビジネスから距離を置くようになってから、子ども達に対するコンピュータを使った教育に力を入れている。僕自身はウォズのようにハードウェアを設計する事もできなければ、彼のように優れたソフトウェアアーキテクトでもない。しかし、曲がりなりにもソフトウェア技術者の端くれ(本当に端っこに足をかけただけだが)だった、それで社会人として飯を食えるようになった者として、その知識を次の世代の子ども達に還元したいという気持ちがある。
別にコンピュータだけに限った話ではない。
僕の両親は決して高学歴ではなかった。お袋は大学に行っていないし、親父はハッキリとは言っていないが、多分高校を卒業しないままに働いていたらしい。しかし、両親は僕や僕の兄の中学入学から、おそらく当時の日本で最も高水準の部類に入る教育を受ける機会を僕に与えてくれた。(僕自身がそれに応えきれなかった部分はあると思うが・・・)僕は学歴が全てだとは全く思わない。車に詳しくない人が車を買う時に評判のいい会社の作っている車を買うように、自分の望むような教育を受ける機会がなかった親は、そうやって高学歴を一つの目安として、息子達に教育を受けさせてくれたのだ。
多分、僕が今の会社に在籍できているのは、バブルという時代の背景と、この学歴が大きく寄与している事を否定しない。そして、全くの文系学生で、コンピュータ(当時はWindowsはまだブレイクしておらず、DOSとNECの98が全盛期だったが)など殆ど興味のなかった自分に、プログラマになる知識を与えてくれたのは会社だ。何が理由かは未だに分からないのだが、ひょっとしたら適性検査で僕の性格は理屈っぽくて、頑固と出たのだろうー僕自身理屈っぽさと、頑固さはソフトウェア開発には必要な気質だと思っている。
今でも僕は思っているが、たとえば営業職や、人事、総務、商品企画、等々の職種があるが、僕自身はどれも飽きていただろうと思う。プログラマという職種は僕の性には会っていたのだ。(飽きるよりも先に、能力的な限界を迎えた気がしているが・・・)
ただ僕自身はウォズニアックやジョブスのように革命を起こすようなソフトウェアを作る事は多分できないし、ただただソフトウェアを作り続ける事には、おそらく能力的にも限界がある。
僕自身はそれをコンピュータを知らない人、苦手な人、コンピュータに興味がある人に対して、コンピュータを知ってもらい、使いこなすようになってもらうための手助けをする事の方がもっと興味がある。それはコンピュータに限った話ではない。それに限らず、僕の知っている知識が誰か別の人の役に立つのであれば、喜んで僕はそれを他人に提供したいと思う。
だから、僕は、ウォズに会ってみたい。