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或るカメラマンの死

そのカメラマンは一人の少年を捜していた。
原爆が落とされた直後の9月の長崎。あちらこちらに溢れる遺体を野焼きしている焼き場。何とも言えない臭いが漂っている場所に幼子をおぶった小学生くらいの少年がやって来た。少年の背中で幼子は疲れきった様にぐったりとして、目を閉じている。
カメラマンが撮った写真には幼子をおぶって直立不動で真直ぐ前を見つめている少年の姿がある。その唇はグッと噛み締められている。
この写真は見る者に対して、この少年の心の中に何か思い詰めているもの、何か堅く、熱いものがあり、それをグッとこらえている、負けまいと胸を張っているような悲壮感を感じさせる。そして、それに対して脱力して、ぐったりとした幼子の様子との対照が印象的だ。
しかし、それには理由がある。その少年は背中の幼子を野火で焼く順番を待って、立ち尽くしているのだ。この写真にはないが、カメラマンは、やがて背中の幼子の遺体が大人達の手によって炎に晒され、焼かれ、その様子を前よりも強く唇を噛み締めて、直立不動のママで見つめている少年の姿を見る事になるのだ。

カメラマンはその他にも被爆の町の風景や人々の写真を多く撮影した。その写真に写った何人かとは、何十年も後になって再会する事もあった。しかし、あの焼き場に立つ少年は、捜しては見たものの、再会する事は叶わなかった。
彼は終戦当時は従軍カメラマンで、その後大統領専属のカメラマン等を勤めた。終戦直後の長崎では、私用のカメラを用いて撮影したプライベートフィルムが多くあり、上の写真もその一枚であり、従軍カメラマンの非公式な記録写真である。
そのカメラマン、ジョー・オダネル氏が亡くなった。
彼は戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さ、人間が犯した罪の深さを嘆いていた。そして、一方で、その痛みを忘れ始めている、その傷跡を消してしまおうとする日本にも、忘れてはいけない事、消してはいけない事があるということを伝えようとしていた。
残念だが彼の貴重な記録が納められた本は手に入りにくい状態だ。

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録

トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録


僕はかつて横浜の中央図書館の書庫に所蔵されているものを借りた事がある。しかし、開架で見れるところも未だ多い筈だ。
google:image:焼き場に立つ少年