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堺屋太一の青春と70年万博:三田誠広 著 出版文化社

堺屋太一の青春と70年万博
堺屋太一の青春と70年万博
「万博」という言葉が全く日本に認知されていなかった時代。通産省に入省したばかりの若手役人が大阪の地盤沈下対策を終えた後、今度は経済基盤の地盤沈下を防ぐために、東京オリンピックに対抗する経済振興策として大阪万博を企画する。上司からは仕事以外の勝手な事をしていると非難されつつも、人脈とアイデアで万博計画を軌道に乗せて、成功へと導く。
鉱山炭坑局という部署に異動させられると、そこで日本の石油への依存度と、備蓄の少なさに注目して、原油の輸入がストップしたら?という仮定に基づいてコンピュータ・シミュレーションを行い、オイルショック・パニックを予見する。
戦後世代の突出した人口増に注目して、その世代の行く末を予測し、企業における管理職人件費の増大や、年金問題などを描いてみせる、そして何よりもその世代を「団塊の世代」と命名する・・・。
これ全て 堺屋太一 という人物がやった事です。
大阪万博は少年時代を大阪で過ごした私にとっては、幼稚園の遠足や家族で行った場所。月の石は覚えていませんが、ソ連館の建物のデザインの秀逸さや、太陽の塔をみた時の衝撃、そして太陽の塔の中に入ったかすかな記憶が残っています。
堺屋太一という人は行動力だけではなく、想像力も豊富な人だと感じた。万博計画の中で観客動員をのばすために全国の高校の修学旅行で万博見学に来るようにしようとした時に、その時点の高校生の人口がその前後の世代に比べて驚くほど多い事に気がつく。それはその世代が小学生であった頃から校舎の増設や教師数の確保などをやって来た文部省の役人にとっては特に珍しい事ではなかったが、通産省の役人であった堺屋氏にとっては非常に興味を引かれる事だった。その時はそれだけで終わってしまったが、後日雑誌社から連載を頼まれた時に、その事を思い出し、その突出した人口数の世代が今後どうなっていくかを、そして社会がどうなっていくかを予測する小説を書く。そして、その小説のタイトル「団塊の世代」はそのまま彼ら自体を指す総称となっていく。この自分の心の中に引っかかった事から、将来を予見する想像力こそが、「万博」という一大イベントを成功させた原動力だったのではないかという気がする。