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被爆のマリア 田口ランディ 文藝春秋

被爆のマリア
被爆のマリア
等価なものとは何だろう?我々は厳密には自分が体験したものしかその喜びや悲しみの深さを測れない。としたとき、他人の体験の深さを思い測る時、それはその体験と等価な別のもの、自分が体験したものに置き換えるしか無いのではないだろうか?
田口ランディ氏が試みているのはそれではないだろうか。被爆体験は被爆の悲惨さを伝えようとするものだが、その壮絶さは桁違いであるし、時代的な隔たりからくる距離感から自らのものとして感じ取る事はやはり難しい。被爆体験の語り部の口から出てくる物語は確かに心に訴えかけるものがあるが、我々の心はどれだけ彼らの場所に近づけているのか。確かに被爆の事実は壮絶なもので、我々のいる現在は平和の中にいるが、その現代に原爆と同じ悲惨さや、悲しみを背負っている者はいないのか?被爆と等価なものとして語る事が出来るものはないのか?言い換えれば、原爆の地獄に相当する現在の地獄を描き出したのが、この一連の作品では無いだろうか。