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ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件:北村薫 著 東京創元社

ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件 (創元推理文庫 (Mき3-6))
ミステリィに興味のない人には全然わからない話かも知れないが・・・。
有名な英国の推理作家;アガサ・クリスティと同時代に、米国にはエラリー・クィーンという作家がいた。最も有名な作品を挙げよと言われたら「Yの悲劇」という事になるだろう。このYの悲劇は当時や、その後の様々な作家に影響を与えた。昔角川映画に「Wの悲劇」というのがあったけど、当然ながらこれはエラリー・クィーンの「Yの悲劇」(これ自体はX,Y,Zと更に1作で構成される4部作の2作目)を意識したものだ。
クィーンは推理の論理性をモットーとした作家で、初期の国名シリーズ(小説のタイトルに国の名前が入っている)というものは、1作を除いて、全ての作品に、解決編に入る前に「読者への挑戦」というのが挿入されていた。これは読者に対して事件解決のための手がかりは全て小説の中に提示されているから、それを元に論理的に考えれば、自分(作中の探偵自身の名前がエラリー・クィーン)が語らずとも、読者には犯人がわかるはず、という挑戦だった。
角川文庫が横溝正史の「犬神家の一族」を映画化して、一気に日本は推理小説ブームに突入したが、当時小学生だった僕は中学に進学すると、横溝正史から始まって、アガサ・クリスティ、そしてエラリー・クィーンと読み進んだ。個人的な意見だが、ミステリィファンは、乱暴に言えば、クリスティが好きか、クィーンが好きかという形で二分できるのではないだろうか。もちろん、昨今の「本格推理」ブームは後者のクィーン好きが原動力になっていると思う。
さて、話を戻すと、クィーンの初期の国名シリーズには必ず「読者への挑戦」が挿入されているのだが、1作だけ例外がある。当然ながら僕もそのことは読んで知っている。しかも、それはシリーズ最終作ではなく、その次の作品では、前作では挑戦をうっかり挿入し忘れた・・・なんてクィーンは言い訳していた。「そんな挑戦はクィーンの『うり』なんだから、うっかり忘れるなんてあるのかなぁ・・・」と不審に思った事もよく覚えている。
と、この小説はそんな疑問を、クィーンの作品をしっかりと読み込んで、ちゃんと研究して、じっくり考えたらどういう結論になるか?という事をベースにして、クィーンが日本に来日した(実際に来日した)時に、ある殺人事件に遭遇して、その殺人事件を解決していたら・・・・という、クィーンに敬意を表したパスティーシュである。