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彼らの時代

息子の通う中学の土曜講座の講師をお願いした人達(以前に仕事を一緒にした委託先の人と、その繋がりで協力をしてくれている人)と久々に一同に介して、残る二回の講座の打合せに参加した。
僕自身は別の、僕個人の講座を持っているので、直接関係しているわけではないけれど、誘ってもらえたので参加した。渋谷の青山通りというところにあるビルの一室。すっきりと整理されたフロアが印象的なオフィスのコーナーで、ホワイトボードをつかって、ワイワイガヤガヤと講座の進行を決めていく。
ホワイトボードを眺めていて、そこの書き込みに、誰かが違う観点で意見を述べる。そこから、新しい展開が始まって、新しい意見のラインが書き加えられていく。また、そのひとつの枝に別の観点が加わる。そうやって、急がず、しかし着実に一つのラインが見えてきて、そしてある所までラインがはっきりと見えると、そこから先は敢えて書き出さなくても、みんな同じ方向を向いているから、同じものが見えていることがわかる。
最悪の打合せは議論が紛糾する打合せではなくて、何も発言が出てこない打合せ。最高の打合せは、互いがそれぞれに微調整を入れながら、支えあってひとつの結論を確認する打合せ。「クリエイティブ」とは、新しいことを生み出すことではなくて、ある一つのことに同じだけの価値を見出したことを確認できることではないだろうか。
彼らは僕よりもあと、僕がバブル世代とすれば、ポストバブル、失われた10年の世代だ。僕と彼らの距離はその時代の相違の距離であり、その距離から見える景色は必ずしも同じとは限らない。しかし、立ち位置が違うからといって、同じものを目指せないわけではない。東京からだって、モンテネグロからだって、南を目指せば南極点に辿り着くはず。大事なことは地球は丸いと信じていることだ。(地球が平坦だったら東京の南と、モンテネグロの南は到底出会うことはない)
下の写真は南を目指している彼らの一人が撮ってくれたものをお借りしました。