Since 1996

教壇に立つということ

もう20年以上前の話だが、母校の高校の教壇に立ったことがある。教育実習生としてだ。担当教科は英語。僕自身は文学部史学科で日本近代史が専攻だったから、英語は全くの畑違いだが、英語の教職関係のコマをとり、英語で教育実習も行った。
20年が経って、僕は再び教壇に立っている。息子が通う中学校の土曜講座だ。この学校の土曜講座は、中1〜3までの合同で、単純な英数国理社の枠に収まらないテーマを取り上げて、少人数の講座を構成する。講師も殆どは学校の先生だが、一部は外部から講師を招いている。バードウォッチングをする講座もあれば、時刻表検定合格を目指すものがあり、プロカメラマンに撮影テクニックを学ぶ講座もある。
僕はその外部講師の一人で、子供たちにパソコンのプログラミングの基礎みたいなことを教えている。昨年の2学期から始めたから、この一学期を終えるとちょうど1年間講師を務めたことになる。
僕の講座は毎学期受講する生徒が変わり、毎学期同じことを教えている。
同じことを教えているから、3学期もやれば教え方が上手くなってもいいはずだが、なかなかそうもいかない。前の学期がうまくいったからちょっと安心してしまってミスをしたり、ちょっと進め方を改善しようとしてミスをしたり、準備不足でミスをしたりと、ミスばかりしている。
迷いの無い時が一番上手くいくというのが僕の持論だが、そういう意味では、初めての学期の、第1回目の講座の時が一番うまくいったかもしれない。
先週の土曜日は、やることをちょっと見直して、それがうまく行くようにしっかり準備したつもりだったが、やってみたら思ったとおりに進まず、はっきり言って今までで最悪の失敗をしてしまった。生徒の方もとてもツマラナイ表情をしていた。中学生は正直だ。でも、それなりに凹んだ。いや、相当凹んだ。
今週の土曜日もまた講座がある。今度は前回の軌道修正を反省して、進め方は最も初期の形に戻しつつ、使う教材は全面的に見直すという、さらに大胆な方向でやってみようとしている。また凹むかもしれない。でも、諦めておざなりに進めるのではなく、納得して冒険して凹むのだから生徒たちも許してくれるんじゃないかと、ちょっと、これは甘えかしら。