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礼服をあきらめる

もう40年くらい前の話だが、僕の父方の祖父母が金婚式(結婚五十周年)を迎え、そのお祝いにと、どこかの料亭で、親戚一同を集めて祝の席を設けた。当時の僕は幼稚園児で断片的な記憶しかないが、小学生だった兄はその時初めて芸者さんを見たという。
僕がその時のことで覚えているのは、祖父母へのお祝いにと二歳年上の従兄弟と「帰ってきたウルトラマン」の主題歌を歌ったことだ。従兄弟は近所に住んでいて、しょっちゅう一緒に遊んでいたので、もう数日前から「帰ってきた・・・」を歌うことに二人で決めていて、歌詞に合わせて振りまで付ける予定でいた。例えば、歌詞の冒頭は「君にも見えるウルトラの星ー」だが、その時は右手で空を指さしてと言った具合だ。
宴が盛り上がって、父が「孫が歌います」と紹介してくれて、僕と従兄弟は祖父母や親戚一同が見守る座敷の真ん中に立ち、「せぇーの」で歌い出した。勿論、僕は右手をサッと斜め上に伸ばした・・・。ところが、従兄弟は直立不動で歌っている。恐らく、緊張で振りのことなど頭からすっ飛んだのだろう。僕は「えぇーーっ」と心のなかで叫びながらも、従兄弟が直立不動では、その横で振り付きで歌うわけにもいかず、かと言ってあげてしまった右手をどうすればいいか分からず、歌い続けながら、ゆっくりと何もなかったような顔をして、右手を下に降ろしていった。
それが僕の記憶にある祖父母の金婚式だ。遠い親戚、近い親戚も色々と集まって盛大に開かれた宴の記念写真を観ても、僕には半分以上が誰が誰やら分からない。
四十年を経て、昨夜は僕の両親の金婚式を箱根のホテルで兄家族と一緒に祝った。お袋曰くは40年前の金婚式では「お爺さんはモーニング、お婆さんは紋付の着物」だったから、自分も礼服で行くつもりだったけど、この暑さで断念したとか。断念してくれてよかった。この暑さの中で正装なんてしたらどうなっていたことやら。
温泉旅館の夕食の席で仲居さんが撮ってくれた写真には、風呂上りの浴衣姿や、ポロシャツ、七分丈のパンツなど、今時の服装の息子、嫁、孫たちに囲まれた親父とお袋が写っていた筈だ。