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学業とは

僕は小学校まで算数は得意な方だったが、中学に入って算数が数学と名を変えて以降、苦手になった。次郎くんが家を出て隣町に向けて時速4キロメートルであるき始めた70分後にお兄さんの太郎君が自転車に乗って時速10キロメートルで次郎くんを追いかけ始めたら何分後に追いつくかという問題を解くことから、そういう現実に近い世界の解釈から、4*(x+70)/60=10*x/60 という数式を解くだけになったときに面食らってしまったのだ。

しかし、上の式が解ければ太郎くんが追いつく時を知ることはできる。

 

僕は大学4年生で、卒論を書かなければならなかったとき、最初は苦労した。自分の中に情報量が少なく、どのように資料を探り、自論を確立すればいいか暗中模索だった。インプットが足りないからだと思い、図書館で資料となる本を借り、それを読み、ポイントをカードに書き出すことを繰り返し、カードを読み直してインプットされた情報を整理するという行為を繰り返す中で、最初はぼんやりとした枠組みでしかなかった持論が、はっきりとした輪郭を持ち始め、次にはどこがあやふやかということもわかり、そこを補強する本を探すという流れに変わっていった。

卒論を書き上げたとき、それは我ながらいい着眼点で、他者を説得するだけの資料も揃えられたと感じていたが、それが完璧ではないことも、どこに弱点があるかもわかっていた。

僕の学業はその大学4年間で終わってしまったが、そこでとった手法はその後、仕事についたあとも繰り返し使った。

教育とは、学業とは、結局知識を蓄積するということではなく、自分なりの取り組み方、対象に対するアプローチの仕方を見つけることだと思う。

 

もちろん、それは大学以外のところでも見つかるだろう。しかし、それを見つけられる場所を先に定義できる人はいない。それをどこで見つけるか、もしくは目隠しをして見過ごしていくかは人に決められない場合がほとんどなのだ。