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読書感想文が苦手

"読書感想文" というものが苦手だ。

小学生の頃、夏休みが近くなると「課題図書」なるものが渡されて「読書感想文を書く」という宿題が出される。

これが嫌いだった。

いや、本は嫌いじゃないし、本を読むことも嫌いじゃない。実は作文だってきらいじゃないのだ。しかしながら、感想文を書くというのが苦手だった。

読書感想文なるものを書かされた多くの人がそうだったと思うのだが、「あらすじ」を書いて終わってませんでした?かくいう私もそうでした。

「主人公のXXという少年がいて、彼はXXが得意で、XXというライバルがいて、XXをしてXXとなって、XXしてしまうかと思ったら、そこはXXがXXしてくれて、なんとかXXで済ますことができて、良かったと思いました。(マル)」

みたいな感じでしかかけませんでした。この中で感想は「良かったと思いました」だけで、あとはすべてあらすじなわけです。

これが読書感想文コンクールで賞を取るくらいの人になると、ちょっと違っていて・・・・とどういう感想文を書くか例を上げたいのですが、如何せん読書感想文が苦手だったので、読書感想文を読む気にもなれず、どういうものが賞をとっていたのか知りません。

しかし、読書感想文の書き方みたいなことを語っていた先生の話を総合すると、物語のどういうところに、どういう感じを抱いたかということを詳しく書く必要があるのだろうと思います。

しかし、今考えても問題は2つあります。

1つ目は読む本が学校の決めた「課題図書」であったこと。これは学校によって色々なやり方があったのかもしれませんが、私が通っていた小学校では課題図書が決められていて、全員がそれを読んで感想文を書くというものでした。

宿題の感想文を書くための本なので「宿題図書」と言ってもいいはずですが、なぜか「課題図書」という素性を偽るような(笑)本です。

子どもの興味は言うまでもなく人それぞれです。それに対して同じ本を渡されて、興味を持てる本なのかどうかもわからないまま、感想文を書くというゴールだけが決められている、、、これは辛いものでした。

今の自分は、他人と比較しても種々雑多な本を読む方だと思いますが、それでも、読んでみて「なんだかなーー」というイマイチだった本の感想を書くのは難しいと感じます。

 

2つ目の問題は「感想文」そのものです。感想文とは本を読んで抱いた「感想」を他人に伝えるために文章に著したものと考えます。感想とは感情です。それを他人に伝わるように文章に書き表せというわけです。

果たして小学生に、いや大学生だっていいですが、そんな難しいことができるのか?という意味です。

仮にその本を読んですごく感動したとします。夜中にベッドの中で読んでいて、胸が張り裂けるような悲しみと、感動を覚えたとして、それを感想として文字で表現できるか?という意味です。しかも、小学生に。

「胸が張り裂けそうでした」と書けばいい、と考えた人もいるでしょう。それはたぶん間違いです。なぜなら「胸が張り裂けそう」という表現は単なる記号、ステレオタイプ的な表現に過ぎません。本当に胸が張り裂けそうな思いを抱いたら、それを「胸が張り裂けそう」という言葉で表現するのは適当ではないと感じるはずだからです。

言い換えると、それを「胸が張り裂けそう」と書いたとしたら、確かに小学生としては「表現豊か」な「よい」感想文かもしれませんが、本人の感想からは大きな隔たりがあるものを、テキトーに書いただけじゃないかという気がします。毎回、どの感想文も「胸が張り裂けそうでした」って書いているような、ね。

あ、もう一つ、大事なことは、仮に読んでみて、興味がわかなかった、つまらなかったと本当に思っても「読んでみたけどつまらなかった。」という感想を書いて出したら、絶対突き返されたであろう、ということです。

「どこがどんなふうにつまらなかったのか書きなさい」と言われたかもしれません。

どこがつまらなかったかを書くほど、つまらないことはありません、。

 

というわけで、小学生だった僕は「そんなの書けねえよ」と思いながら感想ではない「あらすじ」の感想文を提出していました。

 

そんな夏が、そろそろ来ます。感想文を書かずに、次々と本を読める楽しみに浸っています。