Since 1996

それがコーヒー

今週のお題「お気に入りの飲み物」

コーヒーだ。

インスタントでも、レギュラーでも、缶コーヒーでも、いれて時間がたって煮詰まったやつでも、素性は問わない。

コーヒーだ。

 

サイホン式とか、ドリップは紙ではなくネルじゃないととか、フレンチプレスの方がとか、色々いう人もいるし、ちょっとそういう方向に凝ったこともあるが、結局はなんだっていい。

コーヒーだ。

 

どんないれ方であろうと、いれ方が気に入らないから飲めないコーヒーを選ぶより、いれ方がなんであっても口に入れられるコーヒーの方がいい。

ドトールもいいし、ベローチェも大丈夫。コンビニのコーヒーも、アリだ。

コーヒーなのだ。

 

アルコールが苦手だったから、嫌な事があったって酒飲んでウサを晴らすという事が出来なかった。

缶ビール飲んで済ませられるなら、缶のプルタブを引く数秒があればいい。あっという間に気がまぎれる。

 

グシグシと鼻をすすりながら、コンロにかけたヤカンを上から眺めながら、お湯を沸かしていたのだ。

一人の部屋で、一口のガスコンロの前に立って、ガスの火の押してくるような熱気を感じて、少し反り気味に、湯が沸き立つのをじっと待っていたのだ。

いったいどうして、コーヒーはお湯がなきゃ作れなくて、これまたどうして、お湯を沸かすのには数分もかかるような、世の中の仕組みになっているんだろうと、この世の不条理を嘆きながら、沸騰するのを待っていたのだ。

内側に茶色に茶渋の筋が何本も走っているマグカップを横においていた。

インスタントコーヒーの瓶を取り上げて、思いがけず軽いことに気づいて、嫌な予感がよぎる。ひょっとしたら… よかった、あと少し残っていた、と一杯分ないコーヒーの粉をカップに空けて、瓶の底をトントン叩いて、いくばくかのホコリも一緒にカップに入れる。

ドラマのように決してピーーッなんて鳴ることのないヤカンで沸かしたお湯をカップに注ぐ。

 

案の定、色が薄い。これはコーヒーなのか、濃いめの麦茶なのか。

湯気に混じる微かな香りがコーヒーであることを主張している。

 

カップを持ち上げ、床に置いた小さなテーブルの前に移動して、座り込み、目を閉じてカップに口をつける。

湯気が顔を洗うようにして上に這い上がり、目尻の方で乾いていた涙の跡がちょっとじんわり熱くなる。

 

いったいこの一杯のために何分費やしたか?

その間、今日の嫌な思い出も少し忘れていられたのに、温まるとそれをまた思い出すのに。

そんなことのために、いれたのか?

 

それがコーヒーなのかもしれない。