Since 1996

今の思い

3/18時点での思いを書き留めておきます。

 

休校をした判断が素晴らしい英断だったという風潮が生まれつつあります。しかし、一方であれは緊急的な対策として何か行動を起こす必要があったからであって、これをやれば大丈夫という判断があったからではありません。簡単に言うと「たまたま」です。

 

ある程度効果を生んでいることは否定しません。検査数が少ないので感染者数では判断できませんが、死亡者数などは抑制されています。しかし、まだよく様子を見る必要もあると思われます。

 

最初に休校の「要請」が出された時、それに強制力がないとは感じませんでした。国の長から「要請」されて、言うこと聞かない方が勇気が要ります。しかし、私の周りで見る限り、この方針を支持する人の多くは、有事の時なのだから協力するべきという感じで、強制もやむなしという感じでした。その後、要請なので決めるのは地方自治体という事が分かってくると、強制ではなく、現場の判断を認める「要請」にした事を評価する動きがあったと思います。自分は内心では「さっきまでは何がなんでも従えって感じで解釈してたくせに」と感じました。

 

やはり気になるのは休校にする一方で、保育園や学童を継続して良いものとし、要請の枠から外した事です。

これは働く人たちの事情を考えた判断とされていますが、私がいうまでもなく、休校が感染の広がりを抑制するためのものでありながら、保育園や、学童を許しては意味がないのでは?という事です。これについては色々と「医学的?」「感染学的?」に理由づけする人がいますが、はっきりしていません。

そもそも「エビデンス」がないからどういう対応が適切なのかわからないと言われている中で、保育園と学童を許す理由だけ説明できるわけがありません。

 

むしろ経済的影響を考慮するなら、自営業、、フリーランスといった人たちを根本的に救済する策を示すできでしょう。

 

問題の根本は「何をしたか?」ではなく、「なぜするか?」の説明がほとんどされていないことにあるからだと思います。

いや、説明はされてるつもりでしょうが非常に曖昧というか、理由の説明ではなくて、思いの説明にしかなっていなくて、一部の人しか納得させられていないからだと考えます。

それでも協力せよ言われ、理由の説明を求めると「今はそんな時ではない」と言われる。

いや、今だからこそ質疑をしっかりして、毎週、いや毎日でも見直せる部分は見直して、感染を下げたいのですけど、なんで皆さんそういう考えにならないの?

 

勿論、エビデンスがない状態での手探り状態での対応だから、あまり深い話をしても国民を混乱させるだけという判断もあるかもしれません。

しかしそれは台本があると思われる質疑を放送することではないはず。もし前述のように考えるなら質問を許さず退席すればいいはず。

少なくとも、官邸に帰るだけなのに、予定があるからと言って質問を打ち切る「演出」が必要だとは思わない。

「悪夢」だそうですが、民主党政権時代、3.11で原発で緊急事態が起きていたとき、見直すべき点が多くあったのは当然としても、当時の政府は説明しようとしてました。会見もたくさん行われました。

頻繁に状況を伝えようとする枝野氏に対して「枝野寝ろ」というツイートが多く発せられた。

それくらいのこと誰かしてもいいんじやないの?

 

質問をする事が悪いことのように言われる事が理解できない。

その上急にウイルスを克服すること=オリンピックを完全な形で開催すること と言われてもなー。