トランク
ポーランド旅行の話の続き。
ポーランド旅行に行った理由のもう一つはこの収容所を見るためだった。
予想に違わず、いや予想できなかったような凄さだったというべきか。どうしてここまでできるのか、理解ができない感じだった。
その中で印象的だったのは、トランクの山だ。収容所に連行される時、人々は身の回りのものを鞄に入れて来たが、それらは没収された。そのときに(返してもらうときのために)鞄に名前を大きく書いていた。中には住所のよう見えるものまで書いてあるものもある。
黒や茶色の皮のトランクに白いペンキのようなもので大きく。
そういうトランクが山積みされているのだ。
その時ふと、疑問に思った。
名前や住所が書いてあるなら、その人は不幸にも収容所で亡くなったとしても、遺品として鞄を引き取る遺族はいなかったのだろうかという疑問だ。
その答えはあった。
強制連行は多くの場合、村単位などで身内全員が一度に連れて行かれたので、遺品を受け取る人が生き残っていないのだということだった。
その解説を聞いて、もう一度トランクの山を見つめて、ため息以外に何も出てこなかった。
偶然とは不思議なもので
10年ほど前だが、ポーランド旅行に行った。仕事以外で海外に行ったのは結婚した年以来だったから、10年以上海外旅行はしてなかったことになる。
大学の後輩に誘われたのがキッカケだが、いきたくなった理由には、偶然もある。
さらにそこから20年ほど遡った1992年頃、NHKスペシャルで『大モンゴル」というシリーズがあった。
その番組の中で紹介されていた話だ。
14世紀にモンゴル系のタタール人が東欧の国に攻めてきた時、塔の上にいた見張りがタタール人の来襲を知らせるためのラッパを吹き始めた。しかしラッパ手はタタール人の放った矢に射抜かれて、ラッパの音は途中で途切れてしまったという事があったらしいという話を紹介している。
その古都ではその見張りのラッパ手をしのび、今もラッパを吹く行事が続けられているが
そのラッパの音は途中で唐突に止むというらしいのだ。
ポーランド旅行の計画をワルシャワに住む友人とSkypeで話していた時に、そのラッパの話を思い出して、「そういうところもヨーロッパにはあるらしいねー」と言ったら、なんとその話はポーランドの古都 クラクフ で起きたことで、ラッパが吹かれるのはクラクフにある聖マリア教会の塔だという事を教えてくれた。
20年前に見たテレビ番組をポーランドの話だとは知らなかったのに、思い出したという偶然。
それを、何故か旅行の計画の話をしているときに持ち出したという偶然。
そしたらそれが、まさに行こうとしていたポーランドで、クラクフも訪れる予定の場所だった(アウシュビッツが近いのだ)という偶然。
これだけの偶然が重なれば、それはポーランドという国から求められていた?等しく、求められて行く旅行が楽しくないわけはなかった。
2019年読書レビュー
年も押し詰まり、2019年読書レビューです。
今年は72冊、67作品を読みました。(上下巻などは1作品とカウントしています)
何気に年間50作品を超えられたのは数年ぶりです。
今年は色々と記憶に残る作品が多かった。
年明け、いきなり高橋治氏の訃報が入ってきました。自分は学生時代、桃尻娘シリーズを読んでいました。橋本治氏の著作を何か一つと、「蝶のゆくえ」を読みました。表題作は幼児虐待を取り上げ、虐待されている幼児側の視点で描いた作品です。
今年の前半はカミさんが「半分青い」にはまっていて、ドラマの中に出てくる少女漫画家の作品として くらもちふさこ さんの作品が使用されていました。これも中学、高校生の時に愛読した作家です。そしたらなんと作者本人が自作にコメントしていくという「くらもち花伝 メガネさんのひとりごと」が出版されてました。
一方で、タイトルに惚れて中島京子さんの「夢見る帝国図書館」を読んだら、たまたま「エクスリブリス ニューヨーク公共図書館」という映画がl公開されてました。映画は間に休憩時間を挟む3時間越えのドキュメンタリー大作ですが、日本でイメージする図書館とは異なるその姿、そしてそれが多く人の寄付で支えられているというアメリカという国の懐の深さに驚かされました。ある意味、今年見た映画のベスト1でもあります。
また、ノンフィクションという意味ではニューヨークの医師が書いた「死すべき定め―死にゆく人に何ができるか」がよかった。医療の限界と、残された余命を意味あるもの、人として死んでいくために医療ができること、なかなか考えさせられる本でした。
死というテーマではいとうせいこうさんの「想像ラジオ」よかった。この小説は他に似た小説がない。特殊だけど、普遍なものをとりあげた稀有な小説だとおもう。
翻訳ものが好きな自分としては今のトランプ政権を想像させる近未来のアメリカを舞台にしたディストピア小説、クリスティーナ・ダルチャー「声の物語(原題"VOX")」も良かった。
そして、今年はナチスドイツから徹底的な排斥を受けたユダヤ人を主人公にした小説を多く読みました。もともと興味のある分野ですが、今年は多かった。佐藤亜紀さんの「スウィングしなけりゃ意味がない」、深緑野分さんの「ベルリンは晴れているか」。特筆するべきはこれら2作品が日本人が書いた小説であるということ。とてもそうは思えない、翻訳文学を読んでいるような味わいでした。
で、ベスト1は、これもナチスによって強制収容所の送られた魔術師が登場する小説、今年最後に読み終わったエマヌエル・ベルクマンの「トリック」です。本を買ったのは春頃だったと思いますが、なかなか読むタインミングが来なかったのですが、今年中に読んで良かった。
来年もあまり選り好みせず、食わず嫌いせず、気になる本をどんどん読んでいきたいと思います。
我らの薔薇は名もなき薔薇
先日、とある集まりで、30歳になったばかりという青年と話す機会があった。
平成元年生まれという彼。たまたま同じテーブルに座った人の中に、ほぼ自分と同じような昭和40年代生まれの人がいて、昔話と、今とのギャップについて話した。
舗装されていない道路、不要になったゴミを焼く家庭用の焼却炉やトンド焼き、電子レンジのないキッチン、耐熱じゃないガラス器、、、。
僕らの話に合わせてくれていたところもあると思うけれど、色々と話に花が咲いた。
「コンビニや電子レンジがないと、一人暮らしの料理は大変じゃなかったですか?」
という質問が平成生まれの彼から出た。
僕は大学の4年間自炊しながら一人暮らしをしたが、親と暮らしていた頃から、親が留守にしていても適当に料理して食べる事はできた。
「ナントカのホニャララ風味とか、そんな名前のついた料理じゃない、名前もレシピもない料理は世の中には沢山あって、電子レンジがなくて簡単に作れる料理も沢山あるよ」
みたいなことを答えた。
料理に限らず、名前のつかないものは沢山ある。便利になって容易に手に入る名前のついたものを使うようになると、それじゃないとダメなんだみたいな錯覚に陥ることもある。
そんな事を感じた一夜だった。
平成元年生まれの彼、ありがとう。
ほんと、助かった
2013年に中国の蘇州に出張した。
1週間ほどいたが、最終日は仕事も終わり、現地に赴任している日本人の社員と、現地の社員が少し観光の案内をしてくれた。
その時は連れて行かれるママに見ていたので、今思い返した時の推測だが、『寒山寺」、「蘇州古典園林」と「平江路歴史地区」という場所を案内してくれたものと思う。
日本とはスケールの違う大きさを感じさせたり、古き中国文化、生活を感じられる場所ばかりだったが、問題は「平江路歴史地区」で起きた。
ここは運河を中心にその周囲に石畳の道や橋、昔の市街が残された地区で、舟で運河を周遊できたり(しなかったけど)、古い建物の市街で買い物や食事を楽しめたりする。
案内をされながら、そんな運河脇の石畳を歩いていた時、異変は起こった。
『く、くさい…』
これは僕の心の声だった。声には出さなかった。
なんだろう、いやなんという臭さだろう。下腹にドスンとくるような強烈さ。排泄物のような臭さ。最初はちょっと臭うだけだったが、歩いて進むうちに、だんだんと臭いが強くなってくる。
臭いね、と声に出すこともできたかもしれない。しかし、ここは中国の古い街並み。ひょっとするとこれはこの辺りでは普通の生活臭なのかもしれない。真っ先に想像したのはトイレが汲み取り式でその臭いか?遠もっとほどだ。
しかし、そんな事を言っては案内をしてくれている現地の社員が気分を害するのではないかと思い、僕は声に出すのを我慢した。
つまり、声に出す事が出来なければ、もちろん鼻をつまんで歩くわけにもいかない。無防備なままで歩を進める以外になかった。
進めば進むほど臭いは強烈になってくる。どのくらい強烈だったかというと、頭がくらくらして、船酔いでもしたように気持ち悪くなってきたほどだ。
少し息を止めてみたが、歩いて進んでいくのですぐに苦しくなる。結果として息を強く吸う事になり臭さが増す。
ダメだ。吐きそうだ。どうしよう?
本当にあと少しで倒れ込みそうだった。しかし間一髪、スッと臭さが消え去った。
臭いの原因の風上に出たのだ。
奇跡的に救われた気持ちだったが、訳がわからず、周りを見た。
臭豆腐の屋台があった。運河脇に屋台を出して、ニコニコ顔のおじさんが臭豆腐を油で揚げていた。
この観光の後、会食があって、そこにも臭豆腐が出たが、その臭いはあの屋台の臭豆腐に比べれば、全く気にならず、食べることができた。きっと会食の臭豆腐は食べやすくアレンジしていたのだろう。もし屋台の臭豆腐がこの会食に出てきていたら、どんな事態になっていたろうか。ほんと助かった。
「すごいニオイ」#ジェットウォッシャー「ドルツ」
背筋の凍るドラマ
今9月頃に録画したアメリカのHBOが制作したミニシリーズ「チェルノブイリ」(全5話)を見始めた。
1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電事故の発生から、その危機的状況を脱するまでを描いている。
元になったのは先頭に立って危機の回避策を指導したヴァレリー・レガソフ博士が密かに残した事故原因を告発する録音テープなど。
当時の世界はアメリカはレーガン、ソ連はゴルバチョフが指導者で東西冷戦の最中。
保身のためと、東西対立の力関係の中、事故の深刻さを隠し、隠蔽しようとする政府に対して、放射能汚染された街から住民を避難させること、安全と思われた原子炉の欠陥、事故原因を探ろうとした政治家と科学者の戦いを描いている。
当時、自分は大学生で札幌にいた。ソ連から近いこともあり、放射能を含んだ雨が降るという噂が流れたりもした。
しかし、当時の東西冷戦世界では事故の状況についてはほとんど情報がながれてこなかった。
それがこのドラマでは克明に描かれている。
次々と放射線障害の症状を呈して倒れていく人々。
爆発炎上した発電所の消化に多くの消防士が駆けつける。原子炉から飛んできたグラファイトの断片を拾った消防士の手は放射線焼けしてただれてしまう。
爆発した炉心を封じ込めるために5000トンのホウ素と砂の投下活動を始めたヘリコプターも近づきすぎたために墜落する。
メルトダウンを回避するため、被爆死する事を覚悟して炉心近くに侵入し、作業をする人々。
何も知らされず、ただ発電所の火事を見物していて死の灰を浴びてしまった市井の人々。
被曝した人たちは細胞組織、骨髄が破壊され、免疫不全となって全身が水泡で覆われて、身体が崩れ落ちて死んでいく。
まだ第3話までしか見ていないが、これが自分が生きている時代に起きた惨事である事、そしてチェルノブイリと同じ原子力事故の深刻度レベル7である3.11の福島第一原子力発電所事故のことを思うと、見ていて背筋が寒くなる。
たぶん5話まで見終わっても、もう一度見返したくなるドラマだと思う。