Since 1996

41歳の春だから。

僕が社会人になったのは1990年の春。2浪していたからもう24歳だった。バブル全盛のおかげで、北海道の大学の文学部卒が東証一部上場企業に就職できた。しかし、それまで使った事のある機器はワープロ専用機のみ。配属されたのは経理本部だったが、そこは会社の基幹システムを開発、運用する部門で、配属された翌週から、プログラミングの研修やら、なんやらで大変だった。
でも、結局、設計やプログラミングという仕事は、ある程度僕の性に合っていたんだと思う。設計、開発という仕事は「探索」と「試行錯誤」と「論理的思考」の集大成。それは僕にとっては、1年かけて卒論を書いた経験の延長みたいなものだった。
僕は、卒論を書くのは大変だったが、今思うとそれまでの人生では2番目の大変さだったと思っている。1番は中学受験のための受験勉強に必死だった小学校5、6年。2日前、41歳になった今を持っても、あの2年間ほど勉強した時期はなかったと思っている。そういう意味で、卒論の延長の様な会社の仕事は、夜中に電話がかかって来るプレッシャーをのぞけば、つらくはなかった。
でも、その時から一つだけ感じていた事は、10年後もこの仕事を続けて行けるだろうか?という思い。10年後も技術について行けるんだろうかという思い。なんとか、踏ん張って、15年やって来た。でも、だんだんと難しい気もしてきている。