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誰かの役に立とう

もう30年くらい前(高校生になるか、ならないかの頃)にそう心に決めました。
でも、高校生が考える事ですから、単純に「自分が【役に立つ】と考える事をやっていればそうなれるはず」くらいのものだったので、それがとてつもなく難しいことである事を思い知らされるまでには大して時間はかからなかったと思います。まぁ、何にしても「若い」ということはある意味、「社会的には無力」であることと同義と言っても良いようなものですから、無力なくせに誰かの役に立とうなんて、とうてい無理な話かもしれません。大学で「社会学」を勉強しようなんてぼんやりと考えていたのもこの頃だったりします。
具体性は何もないですが、ただ役に立てそうな気がしたんですね。
転機になったのは会社に入った半年ほどたった頃でした。文学部出身で、ワープロ程度しか触ったことのない自分でしたが、社内のIT部門に配属されて、3ヶ月ほどかけてプログラミングの研修を受けました。尤も、当時は汎用機が主流で、事務処理と言えばCOBOL系の言語で書かれていて、しかもオフラインのバッチ処理が主体でしたから、今の所謂パソコンのアプリケーションのソフト開発とはちょっと趣の異なる仕事でした。そもそも、親や親戚に自分のやっている仕事を説明すること自体が非常に難しくて、親は相当後になるまで(結局は私の所属した部門がスピンアウトして、インターネット系のサービスを開発するようになるまで)私の仕事の内容をあまり理解できていませんでした。
そう言うことは、ちょっと置いておいて、そういうIT部門で仕事をするようになって、気がついたのは、皆から感謝されることが多いと言うことでした。たとえば、私の担当しているシステムを使用している社内のユーザから、プログラムの使用に関する質問を受けたとして、私がプログラムのソースコードを調査して、回答してあげると、喜ばれます。また、別の時には、ユーザが仕事で困っている時に、仕事の役に立つような情報を提供するプログラムを作ってあげると、また喜んでくれます。もちろん、失敗してユーザに迷惑をかけ、文句を言われることもあるわけですが、文句が出ると言うことは、それだけ頼られているという事の裏返しです。しかも、僕にすれば、特に僕が凄いことをしたわけではなく、数ヶ月の研修で身につけた知識を自分なりに応用して提供しているだけで、感謝されるのです。
また、これは後になって気がついたことですが、僕は決して優秀なプログラマーでも、技術者でもありませんが、色々なところから出てくる情報(ユーザからの苦情であったり、相談であったり、システムの仕様書であったり・・・)を僕なりに整理して、その中で程よいバランスを考えながらとるべき道を考える、という交通整理みたいな作業が性に合っていたのかもしれません。
そんなわけで、僕は会社に入って、コンピュータ(ここで言うコンピュータはPCではなく、汎用機とか大型コンピュータと呼ばれるもの)に触れることで、初めて「誰かの役に立てる」ことを少し実感したのでした。