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広島原爆―8時15分投下の意味 (単行本) 諏訪澄著 原書房


広島への原爆投下が決定された経緯に色々と問題が言われていて、いろんな研究が行われている。なぜ広島が選ばれたのか。なぜ京都や新潟は候補地に挙がりながら外されたのか。小倉が広島に次ぐ目標であったにもかかわらず長崎に投下されたのはなぜか。小倉が曇っていたからというのがよく言われる理由だが、小倉は曇っていなかったという検証もある。なぜ、広島だけではなく、長崎にも落としたのか。日本に無条件降伏を執拗に迫った理由は何か。固執したのは誰か。原爆投下を決定したのは本当にトルーマンの自由意志なのか・・・、などなど。
この本の筆者は少し視点を変えて、なぜ8時15分だったのだろうか?という疑問を提示しようとしている。なぜ、他の都市の焼夷弾空襲のように夜間に行わなかったのか?いや、そもそも、8時でもなく、9時でもなく、8時15分という中途半端な時間になった理由は?それは、いつ決定されたのか?という問いかけである。
ただ、原爆投下に関してはその詳細なメカニズムに関するところも含めてまだアメリカの機密は解除されていない部分が多く、そのような原爆投下の決定のプロセスに関しても同様で、本の内容はその疑問の解明に終始するというよりは、その周辺の謎も含めて、如何に調査が大変か?という部分に主題が変わってしまっている感がある。そして、最終的には、資料からその経緯や理由を突き止めるのは難しいとなって、推測による結論を披露して終わる。それは難しいながらも調査を進めてきた状況証拠の集積の結果という体裁をとっているものの、どちらかというと最初にその結論を出したくて調査を始めたが、証拠を集めきれなかったので、結論だけ披露します、というのが本音であるように思えてならない。
実は筆者は広島に原爆を投下したB29、エノラ・ゲイの機長であり、原爆投下部隊の訓練等も行っていたポール・ティベッツ氏に直接インタビューするという事も行っている。(ティベッツ氏は殆どインタビューに応じないと言われている筈。彼へのインタビューをベースに本を書いたコラムニストのボブ・グリーンも10年くらいの交渉の末にインタビューが実現できたはず)なのに、インタビュー内容はちょっとお粗末な感じを否めなかかった。
後半は原爆資料館の展示内容やポリシーをユダヤ人虐殺のホロコーストに関する展示(ワシントンにある国立ホロコースト記念博物館等の展示方法と比較する等して、その訴えかけるフォーカスの甘さ、日米同盟に遠慮しているかのような曖昧さに批判の声を投げかけているが、これに関しては私も同じ感想を持っていて頷ける。
最近はわからないが、私の少年時代、関西では修学旅行に広島を訪れる小学校は多かったと思う。小学校の卒業文集で私の同級生の少年は、修学旅行で見た広島の原爆の記念碑を見た感想として、「作るんなら、(費用は)アメリカ持ちにしろ」と書いた。
戦争において日本も酷い事をした。中国の重慶戦略爆撃を行い、ゲルニカに相当する行いもした。それが極東裁判で追求されなかったのは、アメリカも東京大空襲等の同罪を犯していたからだ。日本は決して「被爆だけをした被害国」ではない。また、同様に日本だけが侵略的であった訳でもない。ただ、物事はすべてを積み上げて、プラスマイナスをはかって、差し引きゼロにできる訳ではない。個別に評価され、批判されるべきだろう。
日本は日米同盟の絆によって、核の傘の下で戦後の復興を果たすことが出来た。だから、面と向かってアメリカを批判する事が難しいという感情はわかる。しかし、だからといって、核の廃絶を、自分に原爆を落としたアメリカに対して直接主張せず、まるでアメリカから目をそらすようにして「全世界の核を保有する国」に訴えかけるのはいかがなものか。
もし、だ。もし仮に、今どこかの国が核兵器を使用したとしよう。その時、日本は自分に原爆を落とした米国を批判せずに、その国を批判するのか?それとも、その国の事を取り上げず、曖昧なままに全世界に向かって核の非を訴えるというのか?
多分、広島市、そして長崎市がやらなければならない事は、太平洋戦争の「日本の悪行」の結果として、被爆の悲惨さを語るのではなく、悪行の反省と切り離して(その反省は広島以外のところでできる筈だし、もっとちゃんとやる必要がある)、被爆の真実とそれをもたらした国々のエゴを批判する展示を提供する事、それをアメリカの手でやらせる事だろう。