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わたしと原爆

原爆投下「必要なかった」
歴史家らが米紙に寄稿

https://this.kiji.is/663863003436237921

スミソニアン博物館で企画された原爆展が中止になった1995年から25年。
世代が変わる事で世論も変わるが、当時を知る語り部たちもまた亡くなっていく。

個人的には必要なかったからといっても、核兵器は誰かが作り、落としただろうと思います。

アインシュタインは直接原爆開発にはタッチしませんでしたが、彼が E=mc2(2乗)という真実を見つけた時に、核兵器は開発される運命にあり、創ったものは試さないではいられない人間の性が、投下のボタンを押させたに違いないと考えています。

誤解を恐れずに言えば、ヒロシマナガサキがあったからこそ、その後の核兵器の使用にブレーキもかかった。初期の段階の核兵器だったからこそ、あの凄まじさで終わる事ができた。
歴史に「もし」はありませんが、もし、トリニティ実験だけで終戦を迎えていたら、更に強力な原爆、水爆へと開発が進み、もっと強力な兵器となって、朝鮮戦争ベトナム戦争、もしくはもっと別の報復やテロにおいて使用されてしまったのではないかと想像します。

勿論日本という国は宣戦布告をした国であり、無謀な戦略で敗れた国です。

しかしまた、大戦における唯一の被爆国でもあります。原爆の恐ろしさを、悲惨さを、何十万もの命という代償を払って、身をもって知った唯一の国です。

 

非核を叫ぶと「お花畑だ」と揶揄される事もあるようです。

では、そういう風にいう人も含め、私自身も含め、全ての日本人に、この日が来るたびに自問してほしい。

 

被爆国だからできることは何なのか?

被爆国にしかできないことは何なのか?