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息子の卒業式で祝辞を述べる

3月1日に長男(高校3年生)の学校の卒業式で、PTA会長として祝辞を述べました。多分、そんな機会はそうそうある訳ではないし、適当なことを言う訳にはいかないしで、この1ヶ月ほどずっと案を練っていました。

自分が卒業生だった頃(もう30年くらいまえですが)は、PTA会長の話なんてロクに聞いてもいなかった気がします。しかし、話す立場になってみると、聞いていないと思いつつも、前に立って話をするのだからやはり卒業生たちに何らかのメッセージを伝えたいと思ってしまいます。特にうちの息子の学校の場合、校長先生の式辞、理事長の祝辞、校友会(卒業生OB会)会長の祝辞があるのですが、皆さん60歳以上の方々なので、最も年齢が低く、卒業生に最も近い立場、そして少なくとも卒業生に一番近しい保護者として何か少し違う側面から話をしたいと思ってしまいます。

しかも、今回の祝辞に関しては1年越しの因縁があります。

昨年の卒業式でもPTA会長として祝辞を述べました。その際も色々と話すことを考えていました。ただ、昨年の場合は卒業式の当日の朝になって、PCで書いた原稿をプリントした後も、これでいいんだろうかと悩んでしまいました。結局、学校に向かう電車の中や、早く着きすぎて学校の隣の寺の境内で時間調整をしながら、殆ど朝出力した原稿のほぼ全文を書き換えてしまうという事までやってしまいました。

まぁ、それで済めばまだよかったのですが…。そうやって悩んだために、その原稿はコートのポケットに入れていました。卒業式の会場に移動する時にその事を忘れて、そのままコートを事務所に預けてしまったのです。会場の正面、卒業生や保護者の側を向いて校長先生達と席を並べて着席し、卒業式の開式が告げられた時に自分が原稿を持っていないことに気づいた時には、既に手遅れでした。

直前まで大幅な書き換えをしていたこともあり、どういう内容を話すつもりであるかは頭に入っているものの、細かい言い回しや言葉の選び方、流れについてはあやふやなところがあります。

結局、昨年の場合、PTA会長としての祝辞は約1分でおわりました。途中で破綻するといけないので、無理に原稿を思い出して話すことはやめ、話したかったポイントだけ伝えて終わったのです。直前まで書いていた原稿は幻となりました。短くて良かったという感想も頂きましたが、ちょっと卒業生とその保護者の方々には失礼な感じの祝辞になってしまったのではないかと思いました。

 

そういう昨年の実績を踏まえての今年なわけです。しかも、今年は自分が祝辞を贈る卒業生の中に息子もいるわけで…。

最初のヒントをくれたのは知人でアルタビスタライズという会社の社長さん。正確にいうと、彼の関係している英語教育関係のサイトにコメントをしてきた高校生。祝辞の中で引用したシェイクスピアの台詞はその高校生が教えてくれました。それが1ヶ月ほど前のこと。

そして、もうひとつは2005年のスタンフォード大学の卒業式で故・スティーブ・ジョブスが行った有名なスピーチ。(ジョブスのスピートの動画はここ

そういうものを色々と頭のなかでシェイクしているうちに段々と原稿が出来上がって来ました。尤も、ちゃんと完成したのは卒業式当日の未明でした。

昨年の教訓があるので原稿は書き直さず、スーツの内ポケットに入れて、肌身離さず会場へ…。無事に祝辞を述べることは出来ました。しかし、やはり、我が息子が卒業生の中にいると思うと、原稿を書いている時も、それは卒業生全体へのメッセージでありながら、自分の息子へのメッセージでもありました。それを読み上げるとなると、同じ話をしても気持ちが随分違います。

最初はなんとも無かったのですが、祝辞でジョブスのスピーチを紹介する段になって、その後半辺りから、急に胸にこみ上げてくるものがあり、最後の方は涙声になってしまいました。

終わった後、謝恩会や色んな席で、卒業生の保護者の方々からは好意的な感想を頂けてよかったのですが、やはり恥ずかしかったです。しかし、最も嬉しかったことは、幾人かの卒業生が後でお礼を言いに来てくれた事です。彼らにどこまで届くのかが一番の気がかりでした。

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まず初めに先生方、職員の皆さん、本日までここにいる卒業生たちをご指導頂き大変ありがとうございました。

そして、本日ご列席の保護者の皆さん、おめでとうございます。私事ではございますが、私自身もこの中の1人の卒業生の父親として6年間を振り返るとき、皆さんと同じく感無量の思いがございます。

 

さて、そして卒業生の皆さん、皆さんの卒業にあたって、ひとまずおめでとうとという言葉を送ります。

ただ、しかしながら、一方で今日は、昨日や明日と変わらぬ一日でもあります。

進路が決まった人、まだ決っていない人、他人とは少し違う道を選んだ人、それは人それぞれでしょうが、皆さんは等しく何かにたどり着いたわけではなく、等しくまだ通過点にいるにすぎません。

しかし、一つ忘れないでほしいことは、たとえ皆さんがこれからどういう道を歩もうと、それは全て自分で選んだ事なのだという事です。他人や運が君をそこに導いたのではなく、君がその一歩一歩を自分の足で踏み出したのです。

 

シェイクスピアの「ハムレット」という作品の中に次のようなセリフがあります。

 

"There is nothing either good or bad, but thinking makes it so."

 

日本語に訳すなら「幸福や不幸があるわけではない、考え方しだいなのだ」でしょうか。

 

スティーブ・ジョブスという人物がいました。アップルという会社を作り、iPodiPhoneなどのヒット商品を生んだ人物といったほうがわかりやすいかもしれません。

彼は世界で最も優れた経営者の一人だったと言われています。しかし、彼はいったいどういう人生を歩んだでしょうか?

ジョブスは友人たちと1976年にAppleという会社を作り、Macintoshというパーソナルコンピューターを世に出しますが、会社の経営方針で対立が起き、自分が社長を務めた会社から追い出されてしまいます。それが1985年の事です。

彼はその後もコンピュータの会社を設立しますが、数年のうちには業界でも、過去の人となっていました。

そして10年以上が経った90年代の終わり、巡り巡ってジョブスは追い出されたAppleに戻って来ました。その頃のAppleという会社は業績不振が続き、倒産寸前でしたが、ジョブスが戻ってくると、ガラリと変わりました。iPodiPhoneという大ヒット商品を世に送り出し、今やアップルは世界でもトップクラスの優良企業となりました。

スティーブ・ジョブスは、2010年にiPadを発表して間もなく、癌でこの世を去りました。

 

さて、みなさんはどう思いますか?彼はAppleに戻ったから素晴らしい製品を考えついたのでしょうか?

それは少し違うかもしれません。30年前に彼はあるインタビューに答えています。

「本のようなスタイルに素晴らしいコンピュータを組み込み、常に持ち歩け、そして20分程度で誰でも使い方を習得できるようにしたい」

と語っているのです。それは今のiPadiPhoneという製品に非常によく似ていませんか。彼は会社を追い出されるような挫折を味わっても、そのずっと前から自分が目指すものがあり、それを叶えられるチャンスをずっと求め続けていたのです。

 

ジョブスは2005年にスタンフォード大学の卒業式のスピーチでこのように言っています。

「人生は時にレンガで頭を殴るような仕打ちをする。しかし、信じることを止めてはいけない。私は自分がしていることがたまらなく好きだ。」

「自分がたまらなく好きなことを見つけなければならない。」

「まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協は禁物だ。核心に触れることはすべてそうであるように、それを見つければそうと分かる。」

 

あなたはあなたの両親から生まれました。しかし、あなた自身がどうありたいかは両親が決めるものではなく、誰かや、運によって変わるものではありません。

あなたがこれこそは自分のすべてをかけられると信じられるものを見つけなさい。

あなた自身はあなたが見つけるものであり、目指すものであり、変えるものであり、その全てが血や肉となってあなた自身であり続けるものなのです。それが、今日という日を通りすぎて、いつかあなたが辿り着く場所だと私は思います。

この言葉の主語はあなた自身です。

but thinking makes it so.