Since 1996

「こころ」は「こころ」であるはずだ

僕は 本読み だ。本が好きだ。

本読みにもいろんなタイプがあると思う。

読むスピードがすごく早くて、とても大量の本を読める人。読み込んで、読み込んで、書評家の様に作品を語れる人。あるジャンルに造詣が深い人。

僕はそういう人には及ばない。読むスピードは決して早くない。分析力も弱いので読み込むのも体力が足りない。得意なジャンルがあるわけでない。

僕には好きな作家と、離したくないと思う本がるだけだ。

大学生の頃、とても辛い時期があった。

原因はわからないが、本が読めなくなった時期があったのだ。根が続かないというか、集中力を欠いて、読み進むことができないのだ。

途中で読むのをやめて、別の本に切り換えたりしても、読み進めない。

半年以上そういう時期が続いて、辛かった。

自分から読書という一番の趣味を取り上げられた様なそんな気分だった。

今でも思うが、自分が死んで、棺に入れられるときには、自分が好きだった本を一緒に入れてもらって、一緒に灰になりたいと思う。

今、SNSの一部で、或る出版社社長の或る作家への対応が問題視されている。そこに書かれていることが真実なら、その社長には僕も好意は抱けない。一部の人の間では、その出版社の本の不買運動をしよう、作家はその会社から本を出すのをやめようなんて意見も出ている。

しかし、出版社というものも会社なので、そこには色んな人が働いている。たかが一社長の行動で、そこで働く人々や、そこから出された本までも貶められるのは許せない。

もちろん、そこには様々な質のものがある。

しかし、様々であるからこそ、十把一絡げで語るのはよくない。

だってそうでしょ?出版社で本の質が変わるわけがない。夏目漱石の「こころ」は色んな出版社から出ているが、そこに作品としての質の差は無いはずだ。「こころ」は「こころ」であるはずだ。

https://twitter.com/shinjif/status/1129326236692467712?s=21