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さぁ、これからの世界の話をしましょう

今年の4月から僕は二人の息子たちが通う藤沢市にある中高一貫校のPTA会長を務めることになった。PTA会長の初仕事はなにか?それは4月の入学式で新入生の前で来賓として祝辞を述べることだ。2月の末頃には会長になることがほぼ決まっていたので、3月になったあたりで祝辞の内容を考え始めていた。入学式は4月5日だ。
考え始めて気がついたのだが、僕はPTA会長としてよりも、同じ年頃の息子を持つ親として、中学、高校に入学する新入生に対しての親からのメッセージとして祝辞の内容を考え始めていた。そして、それがある程度固まった頃に起きたのか今回の東日本大震災だ。
あの震災を経験してしまったからには、その事に触れないわけにはいかない。というよりも、あの地震以来感じてきたことを親として息子たちにどう伝えるか?というすこしばかり難しい課題を抱え込んでしまったのだ。
4月5日の入学式を二日後に控えた日曜日の夕刻、岡田斗司夫さんが主催する「これからの「世界」の話をしよう@ワールドカフェ」というイベントに参加した。(このイベントの内容がどういうものだったかというのは、なかなかここで説明するのは難しい。それよりも、それが知りたければ、このイベントに参加したほうが早い。)結局、そこで僕は親からのメッセージとしてどういう話をするかという決心がついた。もう少し詳しく話をすると、地震以来僕が感じていたことをそのまま話すことは決して間違っていないという確信みたいなものが持てた気がした。
そして、次の日に祝辞の原稿を書き上げた。
これは今の中学生や高校生に対して、親としての僕からのメッセージだ。

PTA会長として祝辞を述べさせて頂くにあたって、まず初めに、新入生の保護者の皆さん、ご家族、こ親族の皆さんおめでとうございます。そして、ご苦労も多かったであろうとお察しします。私もこの〇〇(学校名)に二人の息子を通わせる同じ親として、皆さんと同じ気持ちを感じてまいりました。そして、今日からは同じPTAの一員として、ご子息の学園生活が素晴らしいものとなるように微力ながら会長としての務めを果たしたいと思います。どうか、ご理解とご協力をお願いする次第です。そして、校長先生、教頭先生、教員、職員の皆様、OBである校友会の皆さん、どうかこの新入生達を宜しくご指導頂き、〇〇(学校名)に相応しい逞しく、柔軟性に富んだ若者に育ててください。宜しくお願い致します。

さて、新入生の皆さん。これから僕は3つの話をします。難しい話にならないように気をつけたいと思っていますが、ついてきてください。

一つ目はチャレンジ、挑戦とはなにかという話をします。

これは今から50年ほど前、1962年9月12日の事です。アメリカのライス大学で第35代アメリカ大統領 ジョン・フィッツジェラルドケネディは「ムーン スピーチ」とよばれる有名な演説を行ったんです。当時の世界は冷戦状態で、アメリカとソビエト連邦が熾烈な宇宙開発競争を行っていました。当時の状況は常にソビエトがアメリカの一歩先を進んでいる状況で、初めて人工衛星を打ち上げたのも、有人宇宙周回飛行を最初に行ったのもソ連でした。そんな状態にあってアメリカは何としてもソ連においつき、追い越したいと考えていて、ケネディは演説の中で次のように言ったんですね。

“ We choose to go to the moon in this decade and do other things “

10年以内に月に行ってみせると宣言したんです。

アメリカはまだ地球を1周することさえ出来ていない状態です。勿論、人間を月まで運んで、そして無事に地球まで戻ってくるなんて誰にも分かっていなかったときです。そんな状態でケネディは10年という期限を決めて、人間を月に送るという目標を掲げました。

さっきの言葉の後にケネディはこう言います。

“ Not because they are easy, but because they are hard.”

簡単だからではない、困難だからやるのだと。

これこそがチャレンジ、挑戦なんです。挑戦とはなにか、それは一見解決不可能に思われる困難に立ち向かう事です。今は不可能かも知れないこと、それに向かって第一歩を歩み出すこと、それがチャレンジという事なんです。

二つ目の話は先日起きた東日本大震災の話です。

あの地震は単に建物の倒壊や、津波による被害だけでなく、原子力発電所を危険な状況に陥れるという事態まで招いてしまいました。勿論、一刻も早く、原発が安全な状態を取り戻して欲しいと思います。

でも、一方で原発から端を発した停電や節電で僕達の周りも大きく変わりましたね。いつも煌々と輝いていたコンビニエンスストアの看板は明かりを消しました。店内も少し薄暗くなりました。沢山の種類の品物がずらりと並んでいた棚は品数が減りました。買い占めもピークを過ぎたようですが、まだ空のままの棚を多く見かけます。

地震の前と後ではとても同じ国とは思えないくらい様変わりしてしまいました。

でも、僕達は本当に不便でしょうか?地震以来、本当に困ったことはいったい何回ありましたか?

質問を変えましょう。地震が起きる前、星も見えなくなるくらいに明るい看板や、汗を掻くくらいの暖房、ゴミとして捨てるくらい売れ残りの弁当.

それらは本当に便利でしたか?それがあって幸せでしたか?という事なんです。

少しくらい暗くても全然大丈夫、品切れしていても、代わりのものもあるから大丈夫と思いませんでしたか?

人間は誰しも嘗て手にしていたものを失ってしまうと、発作的に取り戻したいと願うものです。大切なものを失うことは本当に辛いことです。今回の地震で親や兄弟や子供や友人や長く一緒に暮らしたペットや、家や田畑や街を失ってしまった人が大勢いました。元通りにできるなら取り戻したいものは沢山あるでしょう。でも、何もかも元通りになることが本当に大切な事なのかという事です。

僕たちは本当はそれほど必要でもないものを両手に抱え込んで、落としたくない、手放したくないと思い込んでいただけじゃありませんか?

さっき僕は「僕達の周りも変わってしまった」と言いました。「変わる」とはどういう事でしょうか。「変わる」とは今あるものの何かを失い、その失った部分に何か別のものを得て、補うという事です。「失う」だけでは変われません。失っただけではその喪失感だけが残って、空虚な気持ちになってしまい前に進めないからです。前と同じものを手に入れても、変われません。失った部分に同じもので補った結果は失う前と変わらないからです。以前と違うものを手に入れて、補ったときにだけ「変わる」事ができます。そして、さっき話したように、何もかもを地震が起きる前の状態に戻さなくたって構わないということは、僕たちは今変わろうとしているという事なんです。

僕達は決して望んでいない「地震」という形で、望んではできない不可能な形で「変わる」瞬間を迎えました。この後僕達が何を手に入れるのか?僕達は変われるのか?

それが今、僕達が立ち向かう挑戦、チャレンジなのです。決して簡単な話ではありません。
“ Not because they are easy, but because they are hard.”
です。

さぁ、最後の話です。最後の話は「これからの世界の話」です。「これからの世界」とは地震の起きた「3月11日以降の世界」という事です。これからの世界をどうしていくのか、どう変えていくのか、変わっていくのかという話です。

でも、これは僕だけが語ることではなくて、今日この◯◯(学校名)に入学した皆さんが、3年/6年という月日をかけて考え、友人や家族の人達と話し合っていくことです。自分は何を失ったのか、何を取り戻したいか、何を変えたいか、そのために何をするか。

僕も、皆さんのお父さんやお母さんも、そして皆さん自身も必ずしも答えは持っていないかも知れません。答えを出すのは決して簡単ではないかも知れません。しかし、あきらめないでください。

“ Not because they are easy, but because they are hard.”
です。

さぁ、これからの世界の話をしましょう。